引用元:秀吉の中国大返しってどう考えても記述が間違ってるだけだろ…
https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1580341115/
1: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:38:35.29 ID:+b1G8ehhM
万単位の人数10日で200km歩かせるとか
今現在の物流と情報伝達があったって何ヶ月も前から準備して出来るかどうかだろ
戦国時代じゃ不可能に決まってんだろが
出きるとか言ってる歴史学者ってなろう作家と同レベルだわ
今現在の物流と情報伝達があったって何ヶ月も前から準備して出来るかどうかだろ
戦国時代じゃ不可能に決まってんだろが
出きるとか言ってる歴史学者ってなろう作家と同レベルだわ
3: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:39:32.11 ID:5n3fSpHZ0
準備してたんやろ
4: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:39:58.70 ID:L3JKK9E/0
あと中国大返しは姫路からだと可能らしい一応
8: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:41:47.85 ID:+b1G8ehhM
>>4
せいぜい有り得るのはこれだよな
話持ってるだけ
せいぜい有り得るのはこれだよな
話持ってるだけ
5: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:40:52.71 ID:lDFiP9iP0
つうか光秀の伝令の情報だけで転換できるか
情報の確信を掴んでたはずやろ
情報の確信を掴んでたはずやろ
9: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:42:20.39 ID:iKQNrDAg0
まあ独自の情報網は持ってたんやろなとはおもう
あとこうなった時の対処のプランも持ってたんやろね
あとこうなった時の対処のプランも持ってたんやろね
14: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:44:12.22 ID:q1YA+fzm0
1日20kmとか余裕やろ
56: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:54:54.05 ID:8K1VmHWQa
>>14
未舗装の道を草履や裸足で20kmしんどくないか
未舗装の道を草履や裸足で20kmしんどくないか
69: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:57:38.35 ID:DbchLio0M
>>56
現代人にやれって言っても無理やけど、当時は足の裏も鍛えられてたんちゃうか
現代人にやれって言っても無理やけど、当時は足の裏も鍛えられてたんちゃうか
16: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:44:51.89 ID:At6+pvWP0
十日っで200キロやったんか思ったより少ないな。輜重おいてけば普通になんとでもなりそうな距離やん
28: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:46:27.74 ID:KFb6D1FCK
>>16
平坦な道をただ歩くだけならな
平坦な道をただ歩くだけならな
35: bob,tan 2020/01/30(木) 08:48:18.29 ID:ajkErSyN0
>>28
普通に物資や兵のために道を作ってたぞ
普通に物資や兵のために道を作ってたぞ
22: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:45:35.73 ID:L3JKK9E/0
本能寺が起きたのが6月2日
山崎の戦いが起きたのが6月13日
本能寺が起きたのを知るまで半日~1日かかったとして岡山の備中高松城から毛利と和睦して10日で帰る
しかも清水宗治の切腹を眺めてから
う~ん…
山崎の戦いが起きたのが6月13日
本能寺が起きたのを知るまで半日~1日かかったとして岡山の備中高松城から毛利と和睦して10日で帰る
しかも清水宗治の切腹を眺めてから
う~ん…
29: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:46:36.74 ID:lDFiP9iP0
>>22
和睦自体は本能寺と関係なく進めてたんやで
和睦自体は本能寺と関係なく進めてたんやで
32: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:47:01.93 ID:L3JKK9E/0
>>29
だとしてもすぐ引き返すわけやないしなぁ
だとしてもすぐ引き返すわけやないしなぁ
24: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:45:56.71 ID:ZbiTLwBX0
当時の人間の身体能力ヤバそうやし余裕やろ
25: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:46:05.95 ID:vh9ZOZ0x0
昔の方が無茶してたからありえる
33: bob,tan 2020/01/30(木) 08:47:27.56 ID:ajkErSyN0
補給考えずに進むなら可能じゃね
36: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:48:31.30 ID:RKTG4olK0
不可能を可能にするくらいできないと天下人にはなれんぞ
37: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:49:14.08 ID:PGkRLnRY0
3万人挙兵しながらどうやってあの短期間でたどり着いたのか意味不明ではあるな
38: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:49:15.26 ID:wbBRkCsF0
まあ秀吉と光秀が裏で繋がっていたというのが本当やろ
秀吉がノッブ誘い出す役で光秀がトドメ
光秀が秀吉に裏切られたんじゃないの
秀吉がノッブ誘い出す役で光秀がトドメ
光秀が秀吉に裏切られたんじゃないの
142: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:15:12.03 ID:0uKzGHC60
>>38
秀吉陰謀説は無理がある
権力闘争の最中に柴田だって散々その可能性を調査していただろうし
共謀していたなら秀吉の部下なり明智の残党なりから何らかの証拠が出てくるだろ
秀吉陰謀説は無理がある
権力闘争の最中に柴田だって散々その可能性を調査していただろうし
共謀していたなら秀吉の部下なり明智の残党なりから何らかの証拠が出てくるだろ
39: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:49:53.16 ID:L3JKK9E/0
後方の遅い奴は置いてって行く先々の村で農民を大金で雇って補充して兵力保つのはどう?
45: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:52:11.05 ID:xX0kMlJUr
主力面子だけ馬でいって兵は丹羽とかの借りたんやないか?
54: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:54:22.54 ID:7Ym584Yl0
1日20キロって考えたら余裕だな
ちょっと小走りで進めば最低でも1時間で5キロは進めるから
4時間歩いて後は寝るニートみたいな生活
ちょっと小走りで進めば最低でも1時間で5キロは進めるから
4時間歩いて後は寝るニートみたいな生活
63: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:56:24.40 ID:dC8k5dLb0
>>54
土に草履やから大変やと思うで
土に草履やから大変やと思うで
59: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:55:26.18 ID:m6b+boJVd
普通は信長が殺されたという情報の真偽を確認するだろ
初めから知ってないとおかしい
初めから知ってないとおかしい
61: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:56:19.01 ID:L3JKK9E/0
>>59
でも生きてても死んでても秀吉の京に戻る行動は利にかなってるやろ
いくらでも言い分作れる
でも生きてても死んでても秀吉の京に戻る行動は利にかなってるやろ
いくらでも言い分作れる
70: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:57:58.88 ID:lDFiP9iP0
>>61
光秀が離反してたらそうやけど、毛利の偽情報やったら、もうあかん
光秀が離反してたらそうやけど、毛利の偽情報やったら、もうあかん
98: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:03:31.56 ID:m6b+boJVd
>>61
偽情報に引っ掛かって万の軍を最前線から撤退しましたなんて切腹ものだぞ
偽情報に引っ掛かって万の軍を最前線から撤退しましたなんて切腹ものだぞ
102: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:05:07.83 ID:L3JKK9E/0
>>98
まぁたしかにな
でも和睦路線とってたんならまだ引き返してもええんちゃうか?
即座に和睦してからなら
手取り川とはわけちゃうやろ
まぁたしかにな
でも和睦路線とってたんならまだ引き返してもええんちゃうか?
即座に和睦してからなら
手取り川とはわけちゃうやろ
60: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:55:49.17 ID:IhIcZQgUp
いつ何が起こるか予測不能のピリピリした時期やし当然秀吉は京に情報網を張り巡らして何かあったら飛んで帰れるように準備は怠らなかったはず
62: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:56:19.22 ID:oBSdQ5Ifp
そもそも本能寺が手薄だったのはなんでなん
ちゃんと警備しとけば平気やったろ
ちゃんと警備しとけば平気やったろ
68: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:57:17.55 ID:L3JKK9E/0
>>62
ノッブが裏切られないと思っていたからってのが一番やないか?
お供つけて動くの嫌いそうやし
ノッブが裏切られないと思っていたからってのが一番やないか?
お供つけて動くの嫌いそうやし
78: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 08:59:51.04 ID:NJ66Fl3k0
人生最大のチャンスやし死にものぐるいだったんやろ
123: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:09:33.58 ID:qSBb4H6vp
信長が秀吉の元に向かう予定だったからいろいろ用意してたのを大返しで使ったんやろ
124: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:10:05.09 ID:szcls7lb0
用兵が上手いってことは行軍が上手いってことってなんかの本で読んだわ
129: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:11:18.64 ID:457EiUBUa
山崎に着いたのも一部だけだからな
全軍間に合ったわけじゃない
全軍間に合ったわけじゃない
132: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:12:24.95 ID:bVz5bWu10
兵は神速を尊ぶと言うやろ
行軍速度が速い将軍てのは古今東西問わず強い
ドイツの電撃戦や司馬懿とかな
行軍速度が速い将軍てのは古今東西問わず強い
ドイツの電撃戦や司馬懿とかな
141: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:15:09.73 ID:PCyeMEji0
この頃の侍たちはロジスティクスちゃんと重視してたのに
日本軍はどうしてああなった
日本軍はどうしてああなった
150: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:17:21.04 ID:+nj/QXag0
こと歩くことに関しては現代人より壮健なんちゃうけ
155: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:18:15.33 ID:anbr06MU0
仮に秀吉が遅れて着いて光秀討伐の指揮とれなかったらだいぶ歴史は変わったんやろか?
一番乗りやったから発言力出せたんやろ?
一番乗りやったから発言力出せたんやろ?
157: 風吹けば名無し 2020/01/30(木) 09:19:14.05 ID:bVz5bWu10
>>155
主君の敵討ちをしたてのは発言力大やからね
主君の敵討ちをしたてのは発言力大やからね



































コメント↑↓
※誹謗中傷や相手を傷つける投稿はご遠慮ください。お互いを尊重し合った、思いやりのある投稿をお願いいたします。
兵站を逆走したんやで。
現実に起こったことを認められないバカか
こういうヤツがいるから戦争に負けるんだな
山崎の合戦での主力は池田恒興を大将とする高山重友・中川清秀らの摂津衆で、秀吉は数こそいたけどメインじゃないって説。
北畠顕家「余裕っしょ?」
秀吉軍は「どこでもドア」を持っていた
秀吉の城も攻められているから、共謀は無理あるやろう
せやから本能寺の変の裏で手を引いてたのが秀吉説があるんやろ。
むしろ無計画だから実行できたと思う
仮に秀吉が黒幕ならどこかでバレる
何でそんな準備してるんだって話になるからね
それに複雑な計画は大抵うまくいかない
秀吉や幕僚のアドリブ能力が最大限発揮され運も味方したので
中国大返しは成功したんだろう
少なくとも秀吉は光秀が機会があれば信長に離反するて推測は付いてたんだろう。そうでないとあんな迅速に行動出来る訳が無い。
信長にしてみれば感謝状書きまくってる光秀がまさか裏切るとは
思ってもいなかったんだろうなその想定があったらあそこまで手薄には
しなかったはず 何せ本能寺の変が起きるちょっと前ですら光秀は
家臣達の前で『我々は信長様に拾っていただいたのだから
感謝しなければならない』とまで言ってるんだ
何かあったら助けてくれると思っていた相手に裏切られたらもうどうしようもない。
信長が中国に進軍する手はずになっていて、進軍の準備のため食料の備蓄や道路の整備を進めていた。準備していたのが役に立った
絶対王者の家康は?
>>10
味方信じないトップとかそれはそれで破綻しますしな。信長からしたらどうしようもないですな。信忠と一緒に行動してたのはアカンが。
AI:「武具だけでなく、秀吉本人や主要な将兵も一部の区間で
船に乗って移動したのではないか」という説も提唱されています。
:戦国時代の軍隊には「小荷駄(こにだ)隊」と呼ばれる、輜重
(兵糧や予備の武器、甲冑などの荷物)を馬や大八車で運搬する専門の輜重部隊
・人員がいました。
「裸同然」というのは比喩的な表現ですが、甲冑や重い荷物を外し、現代の
ランニングシャツと短パンにあたるような、極めて軽装(下着や薄手の着物のみ)の
状態で走って戻ったという説は実際に有力視されています。
信長信忠倒した後の展望が雑過ぎて光秀ホンマにお前有能だったの?てなる。
>>9
つか信長なんて年中行事なみに謀叛されてるんだからそのうちまた誰かやるだろと思うのは想像に難くない
もともと信長の援軍が来る予定だったから準備はしてた
それを逆側から使っただけ
立場的にモタモタしてたら前後を挟まれてそれこそ終わるので、一か八かでも勝負をかけるしかない状況でもあった
逃げ道があったらそっちに行ってむしろ天下を逃してた可能性が高い
ピンチだったのがむしろ効を奏した形
>>12
そのころ家康は、大きな玉袋を引きずりながら伊賀の山中を逃げ回っていた
そんなもの毛利との和睦から山崎の合戦の日時を見れば分かるんじゃないの?
>>16
言うて信長が目立つだけで戦国時代の各領地なんて裏切り謀反の身内だらけですしおすし。何しろ指針や抑制となる将軍や法が体をなしてないですからな。
>>1
李舜臣将軍が補給船だけ狙い、明へ逃亡したなどという嘘を、呼吸をするように言うのが日本の歴史学者です。
秀吉にとっては荒木村重という前例もある。家臣の信長への謀反には敏感になって
いただろうしな。予見と言うよりも謀反の可能性はいつも感じていたのかもな。
そもそも秀吉は兵の大量移動は得意。賤ケ岳の大返しもあるし三河への大中入りもある。
大明征伐でも小西と宗の先制攻撃もやってる。いつも意表をついての攻撃だな。
てっきり軍事用語の返しにいちゃもんつけて、中国大帰りやろとか言うてるスレかと思った
>>9
信長迎えるのは予定してたからそこで何言い出されてもいい様に
情報網整備と動ける下準備もしててもおかしくはないんじゃない
毛利との交渉もその一環なら特に珍しいことでもないだろうし
イッチだってそれなりの年齢なんだろうから、これまでの人生通して自分が「世間の平均よりもはるかに知能が低い」って事くらいいい加減認識できてそうなもんだけどな
ネットでならイキれると思ってウキウキでスレ立てちゃったのかな
恥ずかしいね笑
>>15
一家臣として有能な奴が天下人レベルで有能というわけではないし
本当にそんなことやったら、兵がくたくたになって光秀に負けるはずだと、ある歴史研究家が言ってた
元々兵站のために道を整備してたんだろ
そのうえで兵糧は現地調達と割り切り軽装の歩兵のみで移動するなら一日20キロは余裕
>>27
だから秀吉は摂津で兵を集めてから戦したはず
ワイが観光で行ったお寺は秀吉が当時は禁止だった伝書鳩をこっそり飼ってた
って伝わってるから伝書鳩で情報取ってたんやろ。
10日200kmは1日20km強だから、
実は普通の徒歩の時速4kmで5〜6時間のペースなんよ
近代軍隊の行軍基準でも1日24kmだから、
全軍ダッシュしたわけじゃなく持続可能な移動
大軍全員が同時に走ったんじゃなくて、
騎馬や軽装の先鋒から順次タイムラグ移動してる
何もかもゼロから10日で作ったと思うから現代人の感覚だと
無理ゲーに見えるだけ
新幹線乗ればすぐだろ
信長に花を持たせる為に街道を整備して物資を各所に備蓄していた
信長が快適に過ごせるように常に京の情報を集めていたので本能寺の変を方面軍の誰よりも早く知ることが出来た
そしてここが肝心なんだが、歩兵はほぼすべて置き去り、少数の騎馬武者だけで馬を乗り潰しながら強行して、大半の兵は道々の諸将を説得して自軍に引き入れた
歩兵の中で最も帰参が遅かった者は山崎の戦にすら間に合わなかった
ゲームじゃないんだから全軍揃って帰るわけじゃないだろ馬鹿が
秀吉はもともと信長の命令で中国攻略の補給拠点である
姫路城を完璧に整備済みだったんよ
兵糧も弾薬も途中の拠点に集積済みだから、
手ぶらに近い超軽装で爆走できたのがデカい
現代物流と比べるのはナンセンスで、
当時は自前の足と中継基地が全ての世界
むしろ柴田勝家なんて本能寺知ってから3日で
180km戻ってる記録もある
当時の人間の体力舐めたらあかん
100万の兵で北京から洛陽まで一週間で進軍した安禄山とかと比べると大した事無いだろ
街道沿いの有力者や寺社を脅迫&買収して、
沿道で握り飯と松明を秒で準備させてる
夜間行軍用にかがり火を焚かせて
食料の補給拠点を現地のネットワークで力技で作らせたんやな
この圧倒的な金の力と政治脅迫
こそが秀吉の真骨頂なんよ
>>2
本に書いてあることもけっこう嘘が多いぞ
沿道の地域伝承だと、姫路から兵庫の山陽道沿いは
村中の米を炊き出して握り飯を道端に積み上げたって民話が
吉備〜播磨各地に山ほど残ってる
止まったら負けだから
歩きながら食えるおにぎり配らせまくった記録が現地に残ってんのよ
実際歴史上はもっと早く動いてた奴らがいるんだからそこまででもないんよなw
さらに瀬戸内海の海賊、、、水軍ネットワークを全力でフル活用したって話もある
重い武具や大量の兵糧、重病人は船にぶち込んで
海上ルートで一気に兵庫まで運ばせた
陸路は軽装の歩兵だけ走らせて、
海と陸のハイブリッド物流やったから実現できたって話よ
だらだら歩く速度が2km/h、4km/hで早歩き、6km/hでだらだらジョギング
季節からして12時間は明るいうちに歩けるんで、10kg程の荷物を持って2km/h弱で日の出から日の入りまで歩き続けるのは、訓練された歩兵なら余裕で可能
問題は3万という数を一定速度で移動させながら、水と食料と排泄を管理し続けて10日維持し続けた事やな
ワイらが思ってる以上に、当時の兵站と経済網しっかり統治されてたんやろな
江戸時代、江戸から京都まで、約500km、約15日ほど
そう考えると200kmで10日は普通にあり得る
今の日本人と比べたらあかんよ
あと実は当時の山陽道は、織田家のインフラ整備で日本で一番舗装されてた道路だったりする
信長が軍用道路として道幅を広げて橋を掛け替えさせてたから、
行軍スピードが段違いだった
長浜に家臣の家族とかのこってるから、もたもたしてたら家臣団が勝手に帰り始めて軍が空中分解する。それなら無理にでも戻ったほうがまだマシ。どのみちそこらを気にしなければならない士分は馬だから戻るの早いし。
兵庫県の相生市の大炊の井ってとこには、
秀吉軍のために水を汲み続けた伝承が残ってる
夜間行軍の時は沿道の住民に松明を持たせて
道を照らさせながらノンストップで歩かせた
ただ走らせたんじゃなく、
沿道住民を金と威圧で巻き込んでる
山崎の戦いの前夜、戦死者を弔うために
一夜で三重塔を建てたって伝説が宝積寺にあって
実際は一夜で建つわけないんだが、
それくらい秀吉軍の現場での施工スピードが異常だった証拠
行軍だけでなく、陣地の構築から政治的パフォまで
全てが当時の規格外のチートレベル
そりゃ天下人になるわ
WW2で大陸のガタガタ地面で大砲かついで1日20km移動なら
ちょうどじいさんもやっててな
引き返す道すがら食料とか点々と配置されてた節があるのが
「前もって用意させてた=本能寺の変(光秀謀反)を知っていた」という説があるが
そもそも、その「道すがら」が、中国進出・行軍の主要道路として整備してきた道で
行軍してるんだから普段から軍用品の運搬がされてる道、ところどころに軍用品(郵送中)や
荷運び牛馬用の吸水スポットがあったとて何の不思議もない
>>31
元スレで気になったんだけど、草鞋=草履 と勘違いしてるヤツ多いわな
子供の頃に体験したけど、草鞋は足にフィットさせて括り付けるので
実は結構歩きやすいのよ
まあ耐久性はないだろうけど
秀吉含めて早馬の数十人が間に合っただけで徒歩の本隊は後方支援名目で遅いけどなw
山﨑の戦いで戦ったメインは近場から招集した連中
明智は長浜抑えてしまえばもたもたして帰れない羽柴軍は空中分解するし、家族人質にすればいいだろってやろうとして失敗してるのと、長浜に帰りたい帰心にとらわれた羽柴軍の帰宅経路で決戦する羽目になって、普通に押し負けただけでしょ。当時まだ長浜からの移転終わりきってないし。
少なくとも高松城を出発した日については何かと疑義があると言われている。姫路城まで帰ってきた日は明らかなのだから、そこから計算して高松城出立は記載されてる日よりも随分前になる。そうなると秀吉は本能寺の変のことをかなり前から知ってたのか?
>>52
最低限の体裁は整ってるだけで、姫路までは実質敗走みたいなもんだからそんな時間かからんよ。
賤ケ岳の戦いでも、
佐久間盛政を当時としてはありえないスピードで急襲して戦いの趨勢を決定づけてる。
大モルトケじゃないけど情報伝達と戦力集中のための準備を常に心がけた結果やね。
>>3
そりゃ先陣は彼らだろうよ
>>4
これよ。もっとやべー前例がある事を知らんやつが多すぎるわ
>>14
1日20キロなら走る必要もない
健脚な当時の人なら余裕
>>31
そもそもアレクサンドロス大王のマケドニア軍や古代ローマ軍ですら1日25km行軍していた。
安史の乱の安禄山軍は1日40km行軍していた。
そんな最前線に何万も兵士いる訳がないだろ
毛利が追いかけてくるかもしれないし宇喜多が寝返るかもしれない状況で、援軍もなく時間がたてば明智に畿内をとられて孤立するし、首脳部は長浜の家族を人質にとられて軍が瓦解する状況下で、足が痛いとかお腹が空いたとかいってダラダラ帰る兵はおらんよ。明智が落ち武者狩りで死んだって言われるくらいに治安悪い時代なわけで。みんなまとまって速やかに帰りたい状況で、帰路に飯とか用意できたから上手く撤退できましたって言ってるだけの敗走が実態でしょ。軍の体裁を維持したまま姫路に戻れてない。
関ヶ原に鎧持って走った薩摩ほどおかしな話しじゃない。
「光秀」を唆して 時刻を見ながら・・虎視眈眈でした
>>56
顕家「しかもそいつは海路使ってもいるやろ?ワシ陸路やからそんなズルできへんで玊袋がかゆい」
>>13
上京の民「しかもよりによって上京を宿所にするとは玊袋がかゆい」
>>18
穴雪梅山「置いてかんといてや玊袋がかゆい」
>>43
あと当時の戦って基本的に食料とかは日が持たないので行く先々の村とかで現地徴用するパターンが常識だったんだけど、秀吉は「戦で一番怖いのは兵が疲弊してる帰り道で恨みを買った人間が野盗になって襲われる事」という事で行きの時点で街道整備したり村に対して食料や宿にキチンと正当な金を払って村を潤わせたりたりしてるんよね
だから、そういう意味でも村人も協力的だしで行軍スピードは速いんよ
ローマ軍ほどじゃないにしろ、道中整備しながら進んでたんやろ
>>21
李舜臣将軍が補給船だけ狙い、明へ逃亡したなどという嘘を、呼吸をするように言うのが日本の歴史学者です。
――などという嘘を、呼吸をするように言うのが韓国人及び zai です。
>>41
あのあたりは信長時代から経済圏に組み込まれてるしね、金さえ払えば物は集められる
それに本来なら光秀と信忠の軍勢が西進する予定だったから、その分の糧食を転用するだけでも十分だったかもしれんね
姫路から長浜にしても、長浜に戻らないと詰むから明智と決戦してでも戻るしかないよって仮に黒田に言われたとしたら、嫌でも長浜に向かうしかないのもある。姫路は黒田のもともとの拠点だから、羽柴軍が孤立した場合に最期に詰ませに来るのは黒田だろうし。
>>3
勇戦することと誰が指揮権をとったかは別問題じゃね
山崎の合戦で奮戦し賤ヶ岳でも健闘しながらも討ち死にした中川清秀を忘れないであげてください
あげく大河ドラマでは裏切り者扱いされる始末
私は歴史を(歴史も)知らないのですが、秀吉軍の移動速度が速すぎると言う疑問があるのですか? 日本に限らず、古代や中世の兵隊はてくてく歩くのが仕事でしたから、現代の足腰のなまった学生やサラリーマンと比較しても意味が無いのでは?
1970年前後の朝鮮半島が騒然としていた頃、韓国に侵入して射殺された北朝鮮のゲリラ兵たちの死体を検分した時、例えば足の裏の皮が異常に厚くて、悪路を長時間徒歩行軍する猛訓練を積んでいたのだと言われました。
昔の雑兵らも同じで、石や凹凸だらけの悪路を走らねばならんからすっかりそんな環境に適応していたはずで、長距離の行軍は苦にならなかったと思います。
余談でスレ違いスマソですが、「中国大返し」と言う言葉があるのを見ても、シナを中国と呼ぶのは不適切。私のように歴史を知らない日本人だって少なくないはずなので、そんな人は中途半端に秀吉が中国(シナ)に攻め入った事だけ知っている場合、中国大返しと聞いて、明に攻め入った秀吉軍が大急ぎで撤退したのか、などと誤解するかも、です。
毛虫ってすげーチンタラした歩き方だけどあんな身体の造りだしきっとあれで全力なんだからしゃーないと思うじゃん?それが以前うっかり踏みつぶしそうになって靴裏で感触感じるぐらいのタイミングでギリギリ回避したことがあったんだけど、その後その毛虫のやつ急に5倍ぐらいのスピード出して一目散に逃げて行ったのよ。あいつら普段本気出して歩いてなかったんだな。。。
つまり何が言いたいかと言えばいざってときには想像を超えるスピードで行軍が出来ても驚くにはあたらない
>>73
そこで誤解するならさすがに常識不足なだけでは? 日本の旧名は葦原中国とかなので、日本を中国って言うようにしますか?といえば言わないだろうし、中華人民共和国を現代において中国と略すのはしゃーなしでは?
備中高松城を水攻めしてたので雨の降りやすい季節だったのもハードルを高めている
秀吉が姫路城に帰り着いたときもドシャ降りだったそうだ
>>66
そういう仕込みが対柴田戦での大返しにも効いてるのか
>>76
梅雨時だったからな。
信長が利用するはずだったルートとインフラをそのまま利用しただけ
日本史でも世界史でも中国大返し以上に凄い行軍はある
むしろ中国大返しが世界史でも類のないものだと考えてる人こそ不勉強なだけ
中国攻めのために、信長本隊を呼ぶ算段があった。
秀吉は信長が到着したら、信長の威光で、毛利が降伏するというお膳立てをしていた。
つまり、「信長が西へ向かうために準備されていた街道インフラ・宿泊設備・食糧調達ルート」が、そのまま「秀吉軍が東へ引き返すための逆走インフラ」として機能。
特に姫路城は「巨大兵站基地」として機能。
備中高松城から約80〜90kmをほぼ不眠不休で駆け抜けた秀吉軍は、6月7日に自身の本拠地である姫路城へ到着
秀吉は姫路城の蔵を開き、蓄えていた金銀米穀を惜しげもなく兵士たちに配給『川角太閤記』
兵士には金銭を前払いして士気を高め、大量に備蓄されていた兵糧を補給させ、丸一日しっかり休息・装備の再編を行った。
消耗した馬を姫路の新鮮な馬と交換し、重い攻城兵器や余分な荷物は姫路城に残して「野戦・機動戦に特化した軽装」へと軍を再編
道中の村々や商人に対しては、強奪するのではなく「現金を支払って食料・松明(たいまつ)・替馬を用意
西国街道沿いの豪商や土豪に早馬を飛ばし、「握り飯、水、篝火、松明、替馬」を街道沿いに並べさせる。
兵士たちは立ち止まって自炊することなく、歩きながら食料を受け取り、夜間も松明の明かりに導かれて進む
瀬戸内水軍による海上輸送も併用
>>49
アスファルトの現代は草鞋がすぐ擦り切れてダメになるけど、本来なら歩いてるうち藁の間に土が詰まって強度が増すんだぜ。
>>71
そもそも秀吉山崎に居なかったんじゃ説が最近見たかった書状から出てる
>>82
総指揮官が現場にいなかったとして総指揮官の立場が秀吉でなくなるとはならない
名目の総大将は信孝だが全体を取り仕切り指示を出してたのは間違いなく秀吉
まあ秀吉は自分が現場に到着してから合戦を開始する腹積もりだったのが血気に逸った摂津勢や池田恒興が先走りして秀吉不在のなか戦闘を始めてしまったようだが
>>37
本能寺の変の日付と、山崎の戦いの日付は複数の資料があるから確定。
だから11日で秀吉が戻ったのも確定。
そもそも瀬戸内海沿いの山陽道って昔から日本じゃ1、2を競うほど通りやすい道じゃね?
当時の他の主要道のように険しい山越えとかそこまであったっけ?
山陽新幹線で戻ったんだよ、
ソースは筒井康隆の小説「ヤマザキ」
>>59
毛利と睨みあっていた状態だからいるよ。
>>27
その歴史研究家、本当に歴史研究家か?
山崎の戦いの主戦力は摂津衆だよ。
>>14
大八車が普及したのは江戸時代。戦国時代は基本「足」(人間か馬)で運んでた。
>>78
鉄砲で劣勢だったうえ、明日は雨が上がりそう…という地元民の話を聞いて、夕刻にも関わらず雨降ってるうちに強襲した…なんて説も聞いたな。
学生時代空手部でアスファルトを平気でランニングしてたぞ、歩くのが日常の政界ならできるだろ
行軍速度でAIに聞いてみると
>羽柴(豊臣)秀吉の「中国大返し」では、約230kmを10日間で移動し、
>1日あたり約23〜40km(ほぼ毎日フルマラソン並み)という驚異的なスピードを記録しています。
だそうだ。当時の強行軍で一日あたり約30kmが普通だったから、絶対不可能というほどでもないみたい。
それよりそれだけの速度をどうやって兵に出させたかだな。
指揮官一人がいくら叫んだところで無理なものは無理だろう。
驚くべきは何万もの兵にそんな極限的な力を出させた秀吉の指揮能力だな。集団催眠でもかけたとしか思えない。
>>27
美濃大返しとか、中国大返しよりかなり早く兵を纏めて返して戦闘もしとるけどな。
別に走る必要ないぞ、朝起きてから日が暮れるまで休憩しつつでも歩き続けりゃ1日で50㎞以上は進める。
昔はそんな感じでお宮参りしてたし、参勤交代もそんな感じや。
>>21
元均「イスンスンは卑怯者!」
軍隊が整列してその速度は脅威だが、実際にはバラバラで姫路城で集合。姫路でまた兵を集めて山崎へ。山崎では主力は中川や池田。
>>92
時速5km/hで6時間やぞ
朝9時に出て休憩入れて午後3時に着くやろ?
ディレイ入れても5時には行けるぞ
>>74
ケムシ走りの誕生である
時代劇とか見てると
時々、江戸から八王子まで1日で歩いたって話が出てくるよな
八王子ー神田の距離は約50キロ
道が整備されてたとは言え、当時の人間からしたら
1日50キロは当たり前だった
甲冑背負ってって言うかもしれないが
江戸時代だって重い荷物背負って商人が旅するなんて当たり前
10日で200キロ(50里)は無理なんて言ったら
平和な時代の江戸庶民でも笑うぞ
最近のトレンドは摂津衆の再評価なのに
その功労者の中川様を誹謗する脚本を書いちゃったのがNHK
舗装路より土の方が歩きやすいよ
賤ヶ岳の方が強行軍だったはずだし
北畠顕家と陸奥の鬼達と言う上手もいる
>>100
勝手に裏切り者扱いにされて殺されました
アウステルリッツの戦い(三帝会戦)での、ダヴー率いるフランス軍第3軍団の強行軍
・・約110km〜140km(約70マイル)を、48時間(2日間)で踏破。
リヴォリの戦いでのマッセナの師団の強行軍
・・3つの戦闘で勝利しながら4日で100kmを進軍
ナポレオン戦争におけるウルム戦役での強行軍
・・イギリス上陸用の20万の大軍を、ウルム(ドイツ南部)周辺まで、
1日に約20km〜40kmを40日間続けて、約800km(500マイル)の距離を踏破。
ナポレオン曰く「私は頭ではなく、兵士の足によって勝利した」
日中戦争における日本軍の上海から南京への進軍(当時は徒歩が主)は
・・300km〜400kmを約30日前後。
途中の都市での戦闘や、大本営からの制止命令による一時待機(その後、命令を無視して前進)
を含んでいるため、実際の進撃速度は1日20km〜30km以上。
通過路も宇喜多領ですし。
秀家様と御母堂様を押さえていたのは強い。
>>105
実は宇喜多の裏切りを1番警戒していたので、秀吉は宇喜多領をノンストップで通過してる
たしか、”返し”という、特に「恩返し」は、大相撲において、過去に世話になった者に勝つことを指します。特に、入門時に世話になった力士や、稽古をつけてくれた力士に対して用いられます。相撲中継では、主に横綱に対して初白星を挙げた力士が「見事な恩返し」と実況されることがあるよん・・・
つまり、江戸時代ごろの創作の可能性は否定できない
古代ローマでは8日で700kmって記録もあるよ。
輜重を伴った通常の行軍スピードでも一日当たり25kmだから、通常の行軍で達成できる距離。
戦国時代の日本には古代ローマほど整った道がないから難しいとは思いますが、輜重を切り離せば十分可能でしょう。
>>107
江戸時代の講談本では「中国引返し」とか「中国退き」と言われいたそうな。
「大返し」と言われだしたのは明治以後。
船じゃね?(クロージング)
とんぼ返りという線も・・・あるうる
>そもそも本能寺が手薄だったのはなんでなん
敵対勢力は京都にも大阪にもいないはずだし、もし血迷った連中が襲撃してきても、大した規模のはずなないし
光秀が駆けつけるまで本能寺で持ち堪えれば十分なはずだったのでは
大軍率いた光秀が血迷っただけで
中国攻めで蓄えた物資を使って戻っただけ定期。
>>56
ただし、補給は略奪で賄って、休息や補充がほとんどないから美濃あたりで軍としての限界を迎えている。
よく新田義貞のいる越前になぜいかなかったのかという話になるけど軍として消耗しきって義貞にとっては来てくれても邪魔になるだけ=それほど無理して行軍していたって証左だし
>>47
行軍の場合は20時間移動して4時間寝るというのを目的地に着くまでやらされたらしい
なので兵士の日記や報告書では「まだ戦闘やった方が休めるのに敵軍はいっこうに現れない。根性見せろよ蒋介石!!」とか残ってる。
>>72
実際に経歴が
・摂津池田氏の家臣だが荒木村重と一緒になって池田氏や信長が他の武将を始末して茨城城城主に就任。
・荒木村重の与力で謀反を示唆までやってるし、挙兵時には参加…なのにあっさり信長側に裏切る
なので「生きるのが上手い」と言われてもしょうがない経歴はしている。
ちなみに相方の高山右近もほぼ同じ経歴。
なのにこいつが中川よりも評価が高いのは生き残ったのとキリスト教徒で最後まで棄教しなかったからそれっぽく見えるだけで
北畠顕家の方が凄かったって知ってるか?
>>117
尊氏さまの、九州に追い落とされてからの逆襲劇もスゴイ。
指揮官連中は馬使って後方の軍と合流
池田恒興が秀吉が到着する直前にほぼ単独で光秀主力を倒してしまい織田四宿老の席次2位に浮上
信孝がアホでなければ恒興政権になって秀吉は勝家と一緒に粛清されただろうけど信孝がアホで助かった