引用元:戦争のとき、日本国内の食糧難ってなんで起きたん?
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1644765431/
1: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:17:11 ID:IN6j
戦後もひどかったらしいけど、
別に田んぼ燃やされたわけやないやろ?
別に田んぼ燃やされたわけやないやろ?
2: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:17:40 ID:XqTi
元々その当時の日本は朝鮮台湾からの米の輸入もしてたからな
7: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:20:27 ID:IN6j
>>2
ほーん
それで戦後やたら米の自給率100%にこだわるようになったんかねえ
ほーん
それで戦後やたら米の自給率100%にこだわるようになったんかねえ
38: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:28:03 ID:Y5FQ
>>7
それはあるかもしれん
それはあるかもしれん
3: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:18:01 ID:QoFn
お百姓さんもみんな兵隊に行ったやろ
12: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:22:32 ID:IN6j
>>3
農業生産力そのものが落ちたんか?
農業生産力そのものが落ちたんか?
19: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:24:17 ID:QoFn
>>12
国内の労働力がないんや
若い人はみんな徴兵されて老人と女の子子供は勤労奉仕やで、工場に連れてかれて鉄砲とか飛行機とか作らされる
国内の労働力がないんや
若い人はみんな徴兵されて老人と女の子子供は勤労奉仕やで、工場に連れてかれて鉄砲とか飛行機とか作らされる
4: ■忍【LV1,デスジャッカル,7S】 22/02/14(月)00:18:56 ID:lwSi
うちの親父はイナゴばっかり食ってた言うてたわ
13: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:23:02 ID:IN6j
>>4
そうなんか
そうなんか
5: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:19:45 ID:Zv3H
軍民見境なしに輸送船を狙われたからやな外道な相手やったからやで
6: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:20:07 ID:1OyQ
補給路
15: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:23:46 ID:IN6j
>>6
輸入が途絶えたから説
輸入が途絶えたから説
9: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:21:27 ID:tMCP
米だけ作っても肉や乳製品は不足しがちと違うか
10: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:21:36 ID:mNWM
海外からの化学肥料とかもなかったんじゃね
知らんけど
知らんけど
14: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:23:34 ID:gUO9
・もともと足りてなかった。
・徴兵で労働力が不足した。
・輸送路を破壊された。
・徴兵で労働力が不足した。
・輸送路を破壊された。
16: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:23:50 ID:N43g
都市から田舎に疎開したら十分食料あるやんってなるイメージ
21: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:24:44 ID:IN6j
>>16
そのイメージはある
そのイメージはある
空襲で国内の輸送ルートがやられて
田舎から食料を運べなくなったんやろか
27: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:26:20 ID:gUO9
>>16
食料の配給目標が2100kcalしかないから元々足りてない。
1900kcalが栄養失調寸前だからこれに少しマージンを乗っける程度しか配給できなかった。しかも帳簿上や。
食料の配給目標が2100kcalしかないから元々足りてない。
1900kcalが栄養失調寸前だからこれに少しマージンを乗っける程度しか配給できなかった。しかも帳簿上や。
18: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:24:12 ID:mNWM
交通網ズタズタで農村から都市部への運搬できなかったとかちゃう
20: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:24:32 ID:Jy5o
割と代用食で何とかなってた
22: 飯テロリスト◆DpvIulWkcW3f 22/02/14(月)00:24:55 ID:eNyT
兵隊さんのところが優先されちゃってたらしいよ
尤もその輸送船が轟沈されるから、兵隊さんもおなか空いてたんだって
尤もその輸送船が轟沈されるから、兵隊さんもおなか空いてたんだって
24: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:25:45 ID:tMCP
戦争終わって昭和30年代になっても白米だけのご飯はなかなか食えんかったらしい
おかげでウチの親父は今でも混ぜご飯が大嫌いや
おかげでウチの親父は今でも混ぜご飯が大嫌いや
26: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:26:09 ID:Jy5o
当時は食料の国内輸送は陸路じゃ無理
海路が基本
海路が基本
31: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:27:13 ID:IN6j
>>26
はぇー
北前船みたいなもんか
はぇー
北前船みたいなもんか
34: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:27:19 ID:dZky
東北以外の田舎はそれなりに食い物あったらしい
36: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:27:29 ID:LNz5
兵隊さんも戦地でかなりの人が飢え死にしたらしいじゃないか
国内の資源が尽きるまで戦うつもりだったんかなあ
国内の資源が尽きるまで戦うつもりだったんかなあ
40: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:28:43 ID:tMCP
戦争に全労働力傾けてるイメージだけど、国内の民間人は普通に仕事してお金稼がないと生きていけないしな
44: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:30:24 ID:IN6j
>>40
たしかに
そらそーよな
たしかに
そらそーよな
45: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:31:10 ID:Zv3H
家電や都市輸送インフラの発達で今の必要カロリーは戦中戦後の混乱期より低いんやで
48: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:32:27 ID:tMCP
ああ、あと作物が美味しくなったのは昭和40年代50年代の高度成長期入ってからで
それまでの芋はデカいだけでクソ不味いし野菜も生では食べられないほどえぐ味が強かったらしい
それまでの芋はデカいだけでクソ不味いし野菜も生では食べられないほどえぐ味が強かったらしい
50: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:33:06 ID:mNWM
てかそもそも人口に対して農地少なくなってたから満洲にこだわって戦争なったんちゃうか
満洲行けばたくさんの農地もらえるつっていっぱい植民したんやろ
満洲行けばたくさんの農地もらえるつっていっぱい植民したんやろ
53: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:35:55 ID:gUO9
>>50
・ロシアから奪った戦利品
・ソ連との緩衝地帯
・移民先
経済的な理由だけではないと思うで
・ロシアから奪った戦利品
・ソ連との緩衝地帯
・移民先
経済的な理由だけではないと思うで
58: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:42:02 ID:Zv3H
昔の労働力は食糧に直結しとったけど今は石油と電気やで
はよ原発動かせや
はよ原発動かせや
59: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:43:20 ID:LNz5
人口増加のスピードに生産力が追いつかんと
なんらかの外的ショックで経済危機が起こって
食糧難に見舞われたのかも
なんらかの外的ショックで経済危機が起こって
食糧難に見舞われたのかも
60: 名無しさん@おーぷん 22/02/14(月)00:48:44 ID:mNWM
少ない化学肥料も全部爆薬の原料にされたんやと
化学肥料ないって江戸時代と一緒やからな
そら食糧難なるよ
化学肥料ないって江戸時代と一緒やからな
そら食糧難なるよ































コメント↑↓
※誹謗中傷や相手を傷つける投稿はご遠慮ください。お互いを尊重し合った、思いやりのある投稿をお願いいたします。
農地、工業地帯空爆されて、焼け野原にされた上に、戦地に出ていた兵隊さんの幅員者が大挙したからな。
国民の胃袋という需要に、供給能力が圧倒的に不足していた。悪性インフレってやつだ。
動ける男は戦争に行かされたんだよ。爺ちゃんと病気や疾患があるやつぐらいしか男はいなかっただろ。
戦前戦中は台湾や半島の米やら作物を本土に持ってきてたから食料が足りていた。戦後は本土の被害と半島や台湾からの作物が入ってこなくなるから食料は不足するよ。
どっちかというと、戦中より終戦直後の方が食料事情が厳しくて餓死者も出たらしいね。
闇米食べずに餓死した裁判官の話や、朕はたらふく食っているぞの抗議看板エピソードも戦後のはず。
都会が食糧難になったけど、地方の農業地域では食糧難には殆どならなかった。
燃料なし、車両開運も壊滅、人員も減って、輸送力が激減したから。
>>1
お題は、戦中であって、戦後の話じゃないぞ。
空襲が始まるまでは普通だった
蕎麦屋が営業していて、配給は徐々に減らされたが
飢えることは無かった
戦前から戦後復興にかけての時期の食事を扱ってる動画がようつべにあるから興味ある人は見てみたらいい。
ゆっくり歴史グルメでググってみてね。
食料不足、闇市、田舎に疎開
>>2
肺結核が感染する病気と勘違いされていてしかも閉塞的な田舎だったからそれが一因で津山事件起きたんだよな。
調べてみたら同情はするが擁護できないって感じなんだが
もともと北に行くほど貧農が増える超格差&貧乏国だった、って聞いたな
田舎も南はともかく東北は厳しかったんじゃないだろうか
>>11
米の品種改良で秋田小町だのコシヒカリだとは戦後復興のあとだからなあ。2・26事件も東北の復興を後回しに半島に過剰の税金投資した結果でもあるし東北は定期的な飢饉とかは続いてたのかもね
>>3
と言っても台湾や半島からの輸入は本来は本土にとっては不要だけど新領土の経済的自立のために本土の農民に泣いてもらった一面もある
実際に農業担当の部署から「本土の農民保護のため外地からの農産物の輸出をやめてほしい。もしくは規制をかけたい」というのを総督府の長が「現金収入がこれくらいしかないんです!!」と本土の各省庁に泣きついたり、陳情したり、後背地が安定してほしい軍を説得して味方につけてどうにか継続している。
後戦後の飢餓にしても実際に死んだのは5桁も行っていない上に2,3年後には解消しているので外地に依存しなければしなければで、どうにかやっていけるくらいのポテンシャルは日本本土だけであった…というか日本にとっては経済的には植民地放棄=不良債権の清算とも取れるしな…。
>>11
当時の農業技術では東北・北海道で安定した農作業、特に稲作はかなりきつい。(と言うかもともと南の国の作物を東北北海道で栽培できている時点でかなりおかしいが)
その技術が安定したものとして確立したの戦争の末期ごろ。大々的になったのは戦後になって以降となる。
>>13
なるほどそういう事情もあったんだな。そこまではしらんかったわ
お前ら小学校からやり直してこい。
食糧難になったのは、人手が足りなかったこと、戦地の兵隊に食料を調達しなければならなかったこと、東北地方は寒くて稲作もできなかったことが主な要因だな。
なんか当たり前だが「ある所には有る」ってのは結構あったみたい。
流通系のお偉いさんだったらしい知り合いの祖父である爺さんが
「戦中戦後の何もない時に普通にスキヤキで宴会してた」って自慢してたとか
今だったらメチャクチャに叩かれそうな内容だわな。
昭和だなぁって思う。
港湾をB-29によって機雷封鎖されたから。
>>1
流石に農地を爆撃したとは、聞かんぞ。
機銃掃射での人間狩りは、よく聞くが。
>>13
同じ帝国内なんで輸入じゃなくて移入な
>>4
節子も清太も戦後に死んだしな。
>>14
農林1号水稲や、農林10号小麦、農林3号馬鈴薯を本気で作付けしてれば、海外輸出すら可能だったのにね。
戦後、農林10号はアメリカに接収されて、アメリカの小麦生産量拡大の一助になってるし。
>>17
闇市は、そもそも物資がなければ成立しないしね。
流通網が破壊されたんだよ、食料はある所にはあったでもそれを運ぶインフラが破壊されたからたまっては腐っていく
インフラが破壊されて流通が麻痺したから。食糧難は都市部だけだろ?
>>18
それで国内流通が大打撃受けたからなあ
鉄道だけで全て賄えないし、トラック輸送は主流じゃなかったしな
まあヤバさで言えば戦後直後の食糧難の方がダンチだけど
なんや?結論的には食糧難は無かった
戦後にバランスが短期間崩れただけ
なんか?
なんか合点がいかんな
田舎は普通に食料が有った。
流通網が破壊されて行き渡らんようになっただけ。
やろ?
>>27
いや、食糧難はあったよ。「モノはあるところにはあった」ということは「ないところにはなかった」だから
まず、食糧の移入先であった満州や台湾と本土を繋ぐ航路が機雷や爆撃によって途絶していくことで、本土での食糧生産だけに頼ることになってしまった。その本土はというと、軍需工業に労働力を振り向けないといけなかったので農業へ人手を割けなくなり、農業生産力が低下。戦前の農業はほとんど機械なしで人間の労働力頼みなので人手不足は生産力低下に直結している。さらに天候不順が加わって凶作の様相。これらが44年後半から重なって食糧危機に繋がっている。もし史実通りに終戦していなければ餓死者が続出していただろうという予想もされている。
それで、「あるところにはあった」「ないところにはない」という現象が生じるのはなぜかということだけど、それは船舶や港湾、そして鉄道など輸送に必要なインフラを徹底的に破壊されたから。産地でいくら豊富に食糧が作れても、消費者に届けられないという状況になれば、田舎では食糧が余り、都市では飢える人が多数出る。疎開は攻撃の対象になる都市から避難するというだけでなく、食糧のあるところへ人が移動するという目的もある。
>>18
主に海運の途絶のせいで、本土決戦になれば1000万単位で餓死者が出ると米軍は予想してたみたいだね
戦時中は漁業が壊滅 戦後は凶作の影響とは聞いたな。
ウチのじーさん世代は戦前から小さな酒屋と酒卸会社勤めやってて軍の酒保に酒とか入れてた。じーさん自身は四角四面な気質で町内の富士講収支とか任されてたし戦後の焼け跡線引き勧誘にも一喝したくらいだから(行った近所の家は確かに東京に土地持ってた)、たぶん“ほぼ”不正はしなかったと思うが、そのおかげで母は戦時中ウチは食い物に不自由したことはなかったと言っていた。ある日裏の貧乏家に遊びに行ったら、食べるものが殆ど無いので驚いてすぐ帰ってきたそうだ。酒屋のお手伝いさんの兄が軍隊に行ったら、出発前の潜水艦基地に驚くほどのバナナが入ってきて、それまでの貧しい食の反動で死ぬほど食べ過ぎて外科手術する羽目になったとか。それで一人出発延期となり命拾いしたと挨拶に来たが、次の艦で行って戻ってこなかったって。
つまり本土決戦準備もあって、食糧はあるところにはあったが基本国中混乱し始めていたということ。
働き手が徴兵されたとか生産量が減ったとか色々言われとるが、一番の原因は物流網がズタズタにされた事やど!
船舶が沈められた上に、近海に機雷をバラまかれて解除輸送が著しく低下した!
更に鉄道網も爆撃によって破壊された!
田舎に行けば普通に食料はあった!
都会の人間は着物等を田舎に持ち込んで食べ物と交換することで生き延びた!
戦後の復興は旧海軍が機雷処理を行い海上輸送を元に戻す事から始まった!
その機雷除去を行った人員が海上自衛隊の母体になった!
だから海上自衛隊の機雷除去能力は世界に誇れるレベル!
>>21
いくら嫌なことがあったからと言って中学生が幼い妹抱えて親や親類の支援をたって自立します!てやれば現在進行形で似たような末路だぞ。
アニメ映画版の火垂るの墓は「そういうのはやめておけよ?」というのがテーマの一つだし
りんごは農家には普通にあって買い手がつかなくて困ったと言う話もある。
ただし、米に関して言えば、日本本土では無く朝鮮半島・台湾での生産と東南アジアからの輸入に移行していたが、
朝鮮半島では冷害が発生、東南アジアからの輸入はストップと言う事情もあったりする。
(朝鮮・台湾の生活が向上して、朝鮮・台湾での米消費が上ったと言う背景もある。)
結局主食については、国内生産を常に考えなければならないとなる。
流通網の強化と主食である米生産の強化については、戦後最大の課題となったと言える。
>>19
それで十分妨害出来てるだろ。
考えてからスレを立てたら?
>>37
機銃掃射は、都市部や鉄道車両相手だが。
人の居ない農村部で、機銃掃射する意味なかろ。
>>33
鉄道網は、直ぐに復旧してるで。
港湾の機雷は、人手足りないから、ほぼ放置。
戦後の引き上げ船すら、触雷沈没する始末だしね。
>>13
>戦後の飢餓にしても実際に死んだのは5桁も行っていない上に
「餓死者は一人も出ていない」というのが当時の宣伝だったのに
5桁行ってないからセーフって酷い話やで
「憲法より飯だ」と書いたプラカードを掲げてデモ行進したり
「皇族は、たらふく飯を食っている」という煽動が大衆に利くくらいの
食糧難はあった
>>28
行き渡らないって大変なことやと思うよ
値上げや物資不足が今起きてるよね値上げは物資不足からだけど
これはコロナで検疫が間に合わなくて海の上で貨物船やタンカーが足止め喰らってるからだよね
生鮮食料品とかあんまり持っておけないので引き返したりしてる
戦争の場合は紛争相手国の輸出入制限受けたり補給路を断たれるわけだね
資源が少ない我が国なんかは輸出入がとっても大事なわけだね
なのに尖閣なんかあげちゃえばいいじゃんなんてことを言うやつがいるんだね
戦争終わって昭和30年代になっても白米だけのご飯はなかなか食えんかったらしい
おかげでウチの親父は今でも混ぜご飯が大嫌いや
↑
うちも。今の米食=悪!みたいな流れに憤慨しとる。「なにが雑穀飯だ!痩せたきゃ食うな!」と言ってたね。昭和末期まで法律で米が自由に買えなかったそうだね?
>>40
米軍の調査でも「鉄道網を甘く見ていた。」とレポートしてる。
あれだけの空襲や原爆攻撃でも即日復旧していた。当時に比べて鉄道網の脆弱なことよ…もっとも線路よりも電化設備が弱いらしい。
>>29
あるところにはあった…
上級…察しろ…
>>12
終戦の報を聞いて「薩長政府が負けた!ザマァ!米国バンザーイ!」との声があがったくらい。
東北に投資しなかったのは、半島以下と見られていたからだ。そもそも朝敵だからな。
現代も薩長を憎んでるし、縁談も破棄されるほどだ。
>>9
「この世は星と錨と闇と顔」と詠まれたくらい。
>>45
米に関してはつい最近まで配給制度は残っていた…が、戦後すぐに米の生産量を増大しまくって供給があっさりと需要を上回り、むしろコメ余り状態となった…ので有名無実化してしまっただけ。
ちなみに米などの配給を受けるための「米穀配給通帳」とかるが別段回収されたわけでもないので、探せば出てくる家もある。
>>42
まぁ、逆に言えばそんなのやるほど元気があるほど飢えてはいなかったと…実際に(米軍の支援があったとはいえ)日本における餓死者って年間五桁言っているかどうかの水準だし。
そもそも1945年前後は天候不順による凶作によるもので戦争どうこうの影響によるものではない…とは断言しないけど逆に戦争の影響が全てであるというわけでもない。
ちなみに現在でも2千人弱の餓死者が出ているけど理由は栄養バランスの問題で純粋に飢えた、というものはあまりないとのこと。
>>29
いや、そりゃ理解してるんだけどさ
あるところにはあった。のにもレベルってあるじゃん
輸送の問題云々は十分理解できるけどさ
なんかイメージとあまりにも違うと言うかさ
なんか穀物にしても、当時は米を作ってなかったのか?あわひえで生活するのが当たり前だった、みたいなイメージとはかけ離れるって話にもなるじゃん
田舎にしたって芋しか食えなかったとか兄弟で取り合ってたって話はゴロゴロあるわけで
単に輸送の問題であるとこにはあったんだよ!って結論にはどうも思えねぇよって言いたいのよ
>>41
よその国や地域では六桁7桁当たり前で出ているけどね。
イギリスの戦争における死傷者数が日本とほぼ同じなのに軍民の比率が逆な理由は餓死者によるものだしね。(ただし、インドなどの植民地の住民がほとんど)
>>48
>現代も薩長を憎んでるし、縁談も破棄されるほどだ。
それはいわゆる観光史学というもともとが宣伝目的が何でか東北あげ明治政府さげのプロパガンダと化し、それに地元民がドはまりしての逆恨み。しかもそういうのが出てきたのは戦後以降のお話。
それ以前で薩長憎しと言っているのはせいぜいが武士階級であって、一般層はむしろ戦費や近代化の費用捻出するのため増税しまくった挙句ボロ負けした武士階級が増悪の対象。新政府軍は解放軍扱いだったりする。
農家だった母親の実家は結構余裕あったらしい
生産能力落ちたというより輸送能力が酷いことになってたんやろ
石油不足だし
>>1
それはほとんど関係ない
爆撃地点をみるとわかるけど、ターミナル駅を重点的に爆撃してる。
つまり流通網をズタズタにした結果、生産地から消費地までの大量輸送ができなくなり、消費地(多くが人口の多い大都市)に飢餓が発生している。
当時の政府もそれは理解していて空襲の結果一部地域では飢餓が発生していると警告を受けている。
米の生産地には米が倉庫にいっぱいあっても消費地へ運べなければ食糧難になるのはわかるよな。
>>2
それは関係ないんだよな
食料生産地と消費地の分断によって飢餓が発生してるかあな
>>48
こういう嘘つきってなんでコメントしちゃうんだろうなぁ
>>16
爆撃で流通網がズタズタになったのが主な原因だぞ
輸入に頼れない 労働力減 供出量増加 インフラ損害あたりか
昭和飢饉といって、戦前に東北地方がひどい目にあった
アメリカ発端の世界恐慌の中、台湾、朝鮮からの輸入米で国内米は価格低下
豊作恐慌とも言われて、生糸や米で生活していた東北農業が大打撃受けた
その翌年1931年には東北大凶作、1933年には三陸津波、1934年には再び大凶作と、東北が壊滅状態に
日本は朝鮮開発に金を使ってしまったので東北復興の予算がなく、10年近く東北開発が遅れた
これが戦中、戦前まで長く尾を引いた
そもそも東北が米どころになったのは戦後やで
>>10
ヨバイは平成初期まで、ド田舎の娯楽だぞ?
>>61
東北はやはり半.島より格下に見られていたからだんだな!そりゃ偉くなった東北出の軍人たちが薩長政府を滅ぼそうと思うわな…
オレはあの一連の戦争は東北軍人の政変劇と思っている!
まあ、兵站用の食料挑発やら、輸送網の寸断、労働力の不足など、どれも影響しているだろうけど、
そもそも、現代の様な食品の長期保存技術はまだ未熟、農業は機械化されておらず殆どが人力、
現代では当たり前に思う、輸送を効率化させた鉄道や陸送で使われるパレット輸送なども昭和30年代の話。
第一、現代人が当たり前に食べている現代米(コシヒカリなど)は、戦前にはまだ開発されていないので、
現代米の様な強く大量に穂をなす品種ではない。
現代の感覚で考えては答えは出ない。
>>3
満州の大豆と半島の高粱&米が消費量の三割だっけ
なお小麦は味の問題でアメリカから買えるだけ買うから自給率とは関係無かったらしいが
>>59
特に海運がな
>>46
昔は鉄道省で機銃掃射があっても時刻通り発車する軍人並みのガチ勢だからな
プライドが高くて気合いが違う
>>50
近年廃止された米穀通帳がその名残だな
>>30
独ソ戦を見ればわかるけど本土決戦とかやればそれくらいの戦死者や餓死者は出る。
だから日本は独ソと違って徹底抗戦を避けて最低限の条件でサレンダーしたんだろうけど。
>>64
単にクッソ寒いので稲作とかに向かないのが問題。
結局それに対応できる技術が確立したのが戦争中となり、大々的に広まったのが戦後なので見下したどうこうは言われるほどないはず。
後、半島や台湾は前線だけど東北はそうでないのもあるが。
>>52
飢えに関する話が一般的なのは二つの面から説明できると思う。一つ目は、仮に輸送の問題がなかったとしても、戦争末期には量が絶対的に不足し始めていたということ。二つ目は戦中は統制経済下での配給制においては生産者といえど国家が買い上げた後の余剰分だけしか自由にできないので、輸送に左右されない田舎においてもやはり満足には食べられなかったこと
輸送の麻痺による滞貨以外にも、配給制ではピンハネや横流しによって「あるところにはあった」という現象を生み易い。旧共産圏みたいに権力によって物資の流れを統制しているところではよくあること
基本的には「なかった。不足していた」であって、例外として局所的に「あるところにはあった」が存在していたわけで、結論としては「全体的に不足していた。ただし、ごく一部にはあるところもあった」になる。「あるところにはあった」論は、全体の中の例外であるという点を無言の前提としているのか、あるいは意図的に隠しているのか、どちらにせよミスリードに繋がっている
>>67
陸運もだぞ
当時は鉄道輸送が主だったからな