引用元:石田三成って戦さえ上手ければ天下取れたよな?
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1673143820/
1: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:10:20 ID:aBAq
思いっきり織田家における秀吉のポジションやん?
忍城攻めとか石田が指揮した戦い負けまくってるけど
勝ってたらふつうに秀吉の後継者扱いだったんじゃね?
忍城攻めとか石田が指揮した戦い負けまくってるけど
勝ってたらふつうに秀吉の後継者扱いだったんじゃね?
3: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:10:50 ID:2KqN
小早川秀秋のせい
5: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:11:02 ID:aMvZ
関ヶ原で勝ってればよかったよ
6: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:11:37 ID:ZxWu
どうせそのうち実は戦上手かったって再評価くるやろ
8: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:12:09 ID:aBAq
>>6
石田が戦上手いはないやろ
負けまくってるやん
石田が戦上手いはないやろ
負けまくってるやん
7: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:11:50 ID:ea1f
同僚へのコミュ力やろ
11: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:13:01 ID:bYCy
石田三成って慕われてたの?
19: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:14:28 ID:aBAq
>>11
領民には好かれてたっぽいよ
領民には好かれてたっぽいよ
17: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:14:17 ID:71Cd
関ケ原もよくわかんねんだよな
流れ次第じゃ毛利たちも突っ込んでただろうし
そうなると小早川は裏切らず
すると陣形的には西軍必勝となり家康殺せてるだろうから
流れ次第じゃ毛利たちも突っ込んでただろうし
そうなると小早川は裏切らず
すると陣形的には西軍必勝となり家康殺せてるだろうから
24: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:15:39 ID:aBAq
>>17
陣形的にはどう考えても西軍有利だよな
関ヶ原に誘い込んで包囲してるんやから
陣形的にはどう考えても西軍有利だよな
関ヶ原に誘い込んで包囲してるんやから
23: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:15:24 ID:L1qA
三成って文官のイメージやわ
そら戦はアカンだろうと
そら戦はアカンだろうと
26: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:16:04 ID:71Cd
最近の衛星写真からめっちゃ強大な陣地を光成が野戦築城してたことがわかって
関ケ原は家康やばかったってなりつつある
関ケ原は家康やばかったってなりつつある
29: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:16:31 ID:4R6Q
関ヶ原は諜報戦やったからな
そこに関しては徳川の方が一枚上手やった
そこに関しては徳川の方が一枚上手やった
33: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:17:26 ID:aBAq
>>29
言うて家康も直前まで毛利の動向わからなかったからかなり博打だったんやけどな
言うて家康も直前まで毛利の動向わからなかったからかなり博打だったんやけどな
34: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:17:45 ID:L1qA
関ケ原って言うほど天下分け目に相応しい大合戦ではないのは
38: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:18:52 ID:aBAq
>>34
むしろあんな大合戦が1日で決着つくとかかなりおかしい話やろ
むしろあんな大合戦が1日で決着つくとかかなりおかしい話やろ
36: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:17:58 ID:2Dji
戦というか根回しやろ
37: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:18:49 ID:hdY2
豊臣「は?」
39: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:18:52 ID:PkAl
官僚は戦に向いとらん
40: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:19:15 ID:GzdX
関ケ原の戦いは6時間で終わったという事実
44: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:20:10 ID:aBAq
>>40
黒田官兵衛「早すぎて草」
黒田官兵衛「早すぎて草」
41: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:19:21 ID:nIsN
戦だけ上手くなったら更に敵増やすことになるんじゃ
48: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:21:20 ID:aBAq
>>41
戦上手かったら武断派も黙って文句なしの大将だったやろ
戦上手かったら武断派も黙って文句なしの大将だったやろ
45: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:20:32 ID:2Dji
あれ1日で決着つかんかったらかなり歴史変わるやろな
47: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:20:47 ID:71Cd
>>45
最悪戦国時代に逆戻りや
最悪戦国時代に逆戻りや
50: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:21:45 ID:zMmq
島津どうにか動かせ
59: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:24:05 ID:71Cd
>>50
だれか突っ込めば変わってたと言われてる
要するに石田が自分のために死んでくれる下士官100人そろえりゃよかっただけ
だれか突っ込めば変わってたと言われてる
要するに石田が自分のために死んでくれる下士官100人そろえりゃよかっただけ
68: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:26:02 ID:L1qA
>>59
人望の無さって致命的やな
人望の無さって致命的やな
78: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:27:33 ID:71Cd
>>68
三成「恩賞は思いのままぞ」
みんな「朝鮮ではそうじゃなかったよね」
三成「恩賞は思いのままぞ」
みんな「朝鮮ではそうじゃなかったよね」
91: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:29:07 ID:aBAq
>>78
だって勝手に戦線離脱して満州まで進軍したり軍議をサボって囲碁打ったりしてたやん?
だって勝手に戦線離脱して満州まで進軍したり軍議をサボって囲碁打ったりしてたやん?
51: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:21:57 ID:bYCy
当時関ヶ原実況スレとか立ってたら
小早川が裏切ったところでサーバー落ちてそう
小早川が裏切ったところでサーバー落ちてそう
54: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:23:07 ID:Qw0r
>>51
毛利家のホームページぶっ壊されそう
毛利家のホームページぶっ壊されそう
52: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:22:18 ID:AXW5
秀吉が頑張って何度も戦の実績作りさせようとしたのになあ
55: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:23:09 ID:71Cd
>>52
本当にセンスないから
水攻めして忍城を完封さえしとけばそれでいい言われてるのに無駄に小細工して名前落としてる
本当にセンスないから
水攻めして忍城を完封さえしとけばそれでいい言われてるのに無駄に小細工して名前落としてる
61: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:24:27 ID:aBAq
>>52
マジで毎回失敗してるの草や
なんでこいつ頭エエのに武功はからきしなんやろ
マジで毎回失敗してるの草や
なんでこいつ頭エエのに武功はからきしなんやろ
63: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:24:39 ID:BcjD
【速報】小早川、ガチのマジで裏切り……
64: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:24:49 ID:4R6Q
徳川軍が1番傷を負ったのが島津の撤退戦のときなんだよな
島津普通に戦ってればワンチャン勝てたやろ(なお兵力)
島津普通に戦ってればワンチャン勝てたやろ(なお兵力)
70: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:26:23 ID:aBAq
>>64
敵本陣に向かって退却とかいうやべえ奴ら
敵本陣に向かって退却とかいうやべえ奴ら
80: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:28:03 ID:e1aH
家康は名だたる野戦にほぼ参戦してるからな
・桶狭間
・姉川
・三方ヶ原
・長篠
・小牧長久手
なんでこんな戦国の化物と野戦で戦おうとしたんか
93: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:30:00 ID:AXW5
そもそも当時日本と朝鮮のやりとりって往復数ヶ月かかる上に文章だけやろ?
それで司令部を向こうに置かず日本からあーだこーだ言うてたらそりゃ揉めるよな
それで司令部を向こうに置かず日本からあーだこーだ言うてたらそりゃ揉めるよな
97: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:30:44 ID:71Cd
>>93
石田が行けばよかった
せめてともに苦しめばよかったんだよね
石田が行けばよかった
せめてともに苦しめばよかったんだよね
102: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:32:04 ID:BcjD
>>93
秀吉は一門がいなさすぎて指揮官置けなかったのが痛いわな
秀吉は一門がいなさすぎて指揮官置けなかったのが痛いわな
101: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:31:39 ID:HZjK
戦の上手さより世渡り上手けりゃな
周りにもうちょい目配せしてりゃあんなことには
周りにもうちょい目配せしてりゃあんなことには
108: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:33:06 ID:AXW5
ねねとの間に子供がいれば……
117: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:36:08 ID:71Cd
>>108
ねねとじゃなくても
もうちょい年齢上のガキいればなああ
ねねとじゃなくても
もうちょい年齢上のガキいればなああ
163: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:44:27 ID:JGMr
>>108
秀吉関連で一番哀しい話なのそこな気がする
秀吉関連で一番哀しい話なのそこな気がする
132: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:38:32 ID:1np3
豊臣は秀長が死んだ時点で詰んでた
145: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:40:37 ID:BcjD
家康の一番すごいところは死ななかったところよ
151: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:42:04 ID:fhv0
秀次関連の流れはおかしいよ
自分の子ども関白にしたいから追い出すまでは分からなくもないけどさぁ
自分の子ども関白にしたいから追い出すまでは分からなくもないけどさぁ
157: 名無しさん@おーぷん 23/01/08(日) 11:43:32 ID:AXW5
>>151
最上「そうだよ」
最上「そうだよ」





























コメント↑↓
※誹謗中傷や相手を傷つける投稿はご遠慮ください。お互いを尊重し合った、思いやりのある投稿をお願いいたします。
「戦さえ上手ければ」をいうなら誰でも取れる。
秀吉「忍城は水攻めにしろ」→失敗
世間の評価「三成は戦下手」→なぜなのか
石田三成が戦に強くても徳川家康もそれなりだからな
それに徳川家康の勝利は陰謀工作で敵軍を寝返らせたり、戦わせなかったことや
陰謀婚姻などによって諸大名と親密なったところがでかい
>>1
項羽でもとれたか?
✕ 石田三成って戦さえ上手ければ天下をとれた
〇 石田三成って玉袋が大きかったら天下をとれた
関ケ原では善戦してたからな、そんな格の高くない毛利を総大将とか言い出したのは失策に見えて仕方ない。
家臣の島左近とか蒲生頼郷、舞兵庫は戦上手で、関ケ原でも局地戦では勝利しているから
別に戦下手ではない。
>>6
五大老の1人を格が高くないとは?
>>3
それなりどころか、家康は野戦では当時トップクラス
だからころ、野戦には不確定要素が多い事も知ってるので工作を優先しただけ。
多分無理だろう
参謀タイプで大将タイプではない
神輿は軽くてパーが良いw
総合力、特に人間力で家康の圧勝だからな
戦が強くなっても天下は無理
豊臣の天下が続くというだけで、脱糞が抜けた五大老の席に三成が格上げになる程度だろ
天下は取れない
まるで政治の方は百点満点みたいな言い方だな
たらればを言うなら、徳川の遅参した秀忠隊がちゃんと間に合ってれば、形勢でも東軍だった
お互いに不測の事態があった上でのことだから、結局は家康が一枚上手だったということ
>>6
そもそも関ケ原の戦いを仕掛けたのは三成という証拠も無いしな
元々は三奉行(前田玄以・増田長盛・長束正家)が毛利輝元を大阪に呼び寄せて
家康の弾劾を行ったのがきっかけ。
世間一般では三成が裏で画策してたんだという事になってるけど証拠はない
>>14
秀忠軍は元々真田攻めの軍で、関ケ原に行く予定はなかった
美濃で大戦が行われる空気になったので、家康が急遽呼び寄せただけで、別に遅れてない。
>>12
五奉行と五大老は対等の関係だから格上げにはならないぞ
人望ないだろ
無理だね。戦が下手だし人望はないしケツの穴が小さいし、上手いのは秀吉への媚びと口五月蝿い事。
どれも天下人になるには致命的欠陥だよ。特に「薩摩、大隅の百姓は逃げたら残った百姓からその分余計に
年貢を取り立てる、払えないなら娘を売って払わせる」ってのが百姓らの反感を買った。治世者としては
落第だよコイツ。
小早川秀秋のせい、これに尽きるなぁ
まぁ根回ししてた家康もヒヤヒヤもんだし、それがなければ五分の闘いだったと思うよ
>>14
真田にやられたアホ息子より真田を延々と恨む器量の小ささもw
ただ秀忠がさっさと参陣してれば相当に有利だったよね
東條英機みてえな 自分を天才 だとか
自信もつ奴ぁ 無駄 だ
当時の 日本人にゃ キリスト教 に馴染めん
だから キリスト教 日蓮宗 の2分裂だぜ
>>16
いや、相当に遅れてるよ。そこまで真田にてこずるとは思っていなかった。
家康としては、予定よりも遅かったのよ。
>>8
まあ中納言だしな。宇喜多、織田、小早川らと同格だ。小粒過ぎるな。
>>5
三成の骨を鑑定したら女みたいに華奢な骨格だったらしいな
>>2
水攻めで失敗したからだろ。戦上手は不利な戦も上手くやって勝つから。
>>4
モロチン!
>>18
外様大名や配下には人望あるぞ
加藤、福島を始めとした同輩連中に人望が無かっただけ。
>>20
真田は兄貴の方を取り立ててたから別に恨んでなどいないがな
石田三成 「 無念でござる、グヌヌ 」
>>28
でも昌幸が九度山から泣いて詫び入れてきても無視したよね
>>27
薩摩とか佐竹が三成びいきとかいわれるのは彼が豊臣政権の取り次ぎ役だったからだぞ
別に人望があったわけじゃない
>>22
真田攻めが上手くいってたら秀忠は江戸に戻っている
ほぼ同じタイミングデで岐阜城があっさり落ちて、家康が出馬せざるえおえなくなったのはその後
>>24
そういうのがあんがいでかかったりするもんだろう
>>4
劉邦を討ち取れる位強ければとれた
>>7
島左近=早々に黒田軍の銃弾に倒されて行方不明、蒲生備中=有楽斎に討ち取られる、
舞兵庫=行方不明。
三成が頼りにしてた連中も大した武将じゃなかったようだ。
加藤清正も福島正則も石田三成と同じ戦より内政上手。
>>25
これについては秀吉の指示が下手だったからだぞ
実際三成はおかしいと思ってたが秀吉の逆鱗に触れる事を避けるため渋々やった
だから失敗したけど秀吉に叱責はされていない
>>31
石田三成は取り次ぎをほとんどやってない
>>3
家康は秀吉も一目置くレベルの強者やで
>>23
まあ秀忠と同格だしな
家康からすればガキ同然
三日天下になりそう
>>30
あんなヤバい奴を野放しにしとけないだろ
真田家自体を恨んでるなら一族郎党滅ぼされてるわ
>>38
いややっとるわ
五奉行というのは全国の諸侯と豊臣政権を繋げる重要な役職だぞ
>>22
正しくは家康が早かった、というか岐阜城陥落が予定より早かった
>>19
石田三成は、豊臣子飼いの武断派の連中から人気無いだけ。
直接恨みあるのは細川忠興ぐらいやで。
外様だと伊達政宗、最上義光、南部信直、吉川広家ぐらいから恨まれるぐらい。
>>6
しかし毛利以外に総大将できる奴いる?因みに秀頼は家康が代理やってるから除外で
>>19
秀吉からはむしろ疎まれてた説もあるで
>>43
やってるのは初期の調整とか補佐が基本で取り次ぎのメインは他にいる
例えば佐竹は増田長盛が取り次ぎだし島津は九州エリアの小西行長がメイン担当
もうぶっちゃけると石田三成は単純に大名のメイン取り次ぎをやるには格が足りない
だから初期の不安定な時期を過ぎるとエリア担当みたいなのに引き継ぐ事になる
>>31
佐竹は、浅野長政の宇都宮家仕置きの際に三成に恩義あるぞ。
だから七将襲撃事件で三成を庇ってる。
>>47
疎まれてる奴に筑前37万石任せようとはせんやろ。
領地が狭いから戦力も少ないし、家の格も低い。
>>50
他にいなけりゃ任せるやろ
三成は総大将じゃないし当時隠居の身
西軍が負けたのは毛利達のせいだわ
>>13
蔵入地や宗教勢力の一揆が起きないんだから、
内政は百点満点では?
>>2
関ヶ原でも前哨戦の岐阜城攻防戦で負けてるから野戦も下手(島左近指揮なのに)。
>>33
そう?三成は秀吉よりもチビだったうえに女のように華奢な骨格だからきっと玉袋もサオも
極小ダッタに違いないと思うが。
>>46
北政所。彼女が大阪城で秀頼を擁していたら清正、正則、細川、黒田らも徳川にはつかなかった
だろうな。
>>2
忍城攻めは外戚の浅野長吉の箔付の為の戦だったが、
失敗したからスケープゴートに石田三成が選ばれただけ。
そのせいでか、以後浅野長吉と石田三成に溝ができる。
>>3
調略はほとんど本多正信の仕事だろうな。
>>45
恨まれ過ぎやないかい!
>>56
ナイナイ岡村>ワシは竿も玉もデカイぞ。
>>53
まあ関ケ原では南宮山から動かず、大阪城立てこもりではスタコラ逃げ出す。では勝てないわな。
陣立てで宇喜多と小早川が逆だったら戦況が変わったかもしれないね
即裏切って崩壊と言うセンも否定できないが
>>58
長政って外戚というほど厚遇されてないだろ
お題が三成なので三成ならどうかの話だと武将ではなく優秀な計算機みたいな人間なので
特定の処理は出来てもカリスマで人引っ張れないから無理
毛利や他が総大将でも秀頼(豊臣家)最重視だから後々ぶつかるだけだろうし
>>57
細川忠興は豊臣家に恩無いぞ?
徳川家康によって加増されてるし。
こういうツマンナイ質問連打するサイトって
>>34
その場合も光秀の三日天下ほどではないにしても、すぐに崩壊しそうだけどな
>>13
財務屋として優秀というだけだよなあ
嫌われまくっている時点で政治家たる重大要素が大いに欠落していることが分かる
>>53
吉川広家「最近わしのせいやということがバレてきてつらい」
>>48
相馬氏なんかも嫡男に三成から一字もらって三胤と名乗らせてたし普通に取り次ぎやってるんだが
>>49
七将襲撃って最近はなかったことになってるんすよね
>>57
面白いけど淀殿に配慮して勧誘しないだろうし、仮にしても宇喜多秀家に任せろと言われるだけだろう
>>64
秀次事件のせいだな
>>7
赤坂に夜襲かけて有馬風情に撃退されてる島左近が戦上手?
>>69
石破茂の悪口は止めろ!
>>68
天下を取る事とその後の統治がうまく行くかは別だから・・・
ってか秦の始皇帝も結局は短命だしなぁ
>>71
だからメインは初期だけなのよ
三成が相馬氏と関わって友誼を結んだのは伊達政宗が暴れていた時代で中央でも申次として商人茶人なんかがやってた時代
>>72
七将襲撃事件無いとすると、
石田三成失脚>小早川秀秋筑前転封>福原改易>細川忠興加増の一連の流れが説明できんぞ。
>>34
劉邦を討ち取れるくらい強くて負けたんじゃん。
佐和山20万石で天下取れるわけないじゃん。
>>79
単純に家康との政争に負けただけでしょ
>>27
毛利達に人望がないから外様にコネがある三成を取り込んだ感じ
>>80
実際には討ち取れてないじゃん。だから負けたんだよ。
政治が出来て戦上手でなんて曹操やナポレオンレベル
>>85
信長秀吉家康がそれじゃないですか
>>61
そう?小さいから心を病んだんじゃないの?心も何もかも小さいから。
>>63
小早川はみんなが関ケ原に入る前に松尾山に陣取っていたから。西軍としてはそれを容認するしかなかった。
>>64
厚遇されてはいる
少なくとも秀次事件までは
>>2
忍城は上杉謙信や北条氏康も落とせなかった名城
>>65
武将ではないんだけど中央の官僚としては丁寧に対応していたおかげでまあまあ人望はあった
だから部下とかあとから豊臣政権に入って来たような大名とかには人望がありライバルになりそうな同僚からは受けが悪かった
なお最も受けが悪かったのは石田三成ではなく小西行長
>>86
秀吉は軍事面では竹中半兵衛や黒田官兵衛に頼ってたから違うと思う
>>54
せいぜい市長か知事レベルの政治力を首相クラスの政治力と混同しないでください
>>78
初期だけとかそれは勝手な思い込みだろ
相馬三胤とか三の字を捨てて改名したのは関ヶ原以降だぞ
>>79
それらの事件には何の因果関係もないんですが
そもそも小早川が三成の讒言で改易されかかったのもデマだし
無理w
一癖も二癖もある戦国大名を取りまとめられる器ではない。
中世において真面目な奴はトップに向かない、ある程度ほら吹きの部分も必要。
注:別に能力不足とか人格を否定するわけでは無い。生真面目な性格はむしろ奉行衆としてはプラスだろう。
>>87
流石にライン越えでは?
>>92
いうほど頼っていたって記録はない
最初期は秀吉についてなかったし
>>95
まあ少なくとも秀秋がこの件で三成を恨んでたのは間違いないかと
事実と当事者視点は別なんで
>>68
加藤清正「あいつムカつくしな玊袋がかゆい」
>>94
思い込みじゃないぞ?
元服したのが関ヶ原の直前だけどその頃の奥州大名は浅野長政の管理下で取り次ぎも浅野氏だからな、相馬は初期の友誼が継続していたってだけ
ただ浅野氏の取り次ぎとしての評価がすこぶる悪いので東北の大名は三成や家康を通じて中央に苦情を出していたりする
>>56
三成「ワシの玊袋は太閤殿下と違って軽々子を成してるから太閤殿下よりはデカい玊袋がかゆい」
>>74
いやそれ以前からも厚遇などされてないが?
>>101
浅野が取り次いでたの伊達とか最上あたりだろ
東北全体を扱ってた訳じゃない
佐竹とか相馬とかあと津軽氏も三成の担当だったはず
>>70
秀元「この野郎め
壊さなくても良い岩国城も一国一城を理由にして取り壊してやる玊袋がかゆい」
>>99
恨んでたとか証拠あるんですか?
>>95
七将襲撃事件の目的(大義名分)が福原(唐入り時の軍監)の処罰要請では?
そして福原の旧領から6万石が細川忠興にだけ与えられてる(唐入りで軍功も無いのに)。
筑前37万石は豊臣蔵入地で管理者が石田三成だよ?
石田三成が失脚しなきゃ小早川秀秋が越前から転封することもできない。
>>100
石田三成>同じ釜の飯食った仲間じゃないか。
殿下(秀吉)のお下がりのパツキンネーチャン(梅毒キャリア)廻してやったじゃないか。
>>64
軍功無いから大封与えれなかったかと。
加藤光泰の跡地の甲斐一ヶ国も息子の幸長の方が多い始末。
仮に西軍が勝ったとしても天下の実権が徳川から毛利へ移るだけ
三成が今度はその毛利にはたしてとってかわれるかって話
秀吉ですら政権を維持するために毛利とは関係厚くしてたぐらいなのに
>>102
その血は今上天皇にも流れてるからな。
>>104
取り次ぎとして仲介があったのはほぼ1590年前後にしかない
あとコレは書状にも残ってるから確実だけど常陸下総あたりの関東太平洋側沿岸地域の取り次ぎは増田長盛がメイン、石田三成は補佐
浅野氏が東北担当になったのは関東仕置後
南部から那須宇都宮あたりまで丸々与力につけられてる
人望だろうな。茶坊主についていくヤツはおらん。
>>93
地方自治体の首長の支配領域とは比べ物にならないぐらいデカイ地域の差配してるが?
首相は太閤の秀吉の職権だから、
比較するなら大臣では?
>>104
前田利家がワンクッション入るな。
>>45
織田信長の台頭前後から江戸初期まで時に大規模な大名家では武断派VS文治派の対立なんて珍しくもない。
ついでに言えば文治派が叩かれるのも珍しくはない。結局政権的には武断派が排除されるのにもかかわらず
さらに内政や外交方針の対立(例:武田家の義信事件)や大名権威を固める側近派VS譜代や国人領主の対立(例:武田家の信虎の追放事件や徳川家の信康事件)秀吉に可愛がられた跡取り派閥Vそれ以降表に出た息子派閥(豊臣恩顧や子飼いの大名は大体…といっても秀忠自身が前者でしかも生涯改名すらしていない謎)。…というのが複雑に絡んでお家騒動が多発したと。そんなの起きなかったのはそれこそ後北条氏ぐらいで。ちなみにこれらの要素をこれでもかとぶち込んだごった煮が謙信亡き後に起こった御館の乱
というか秀次事件もそうだし、家康も晩年までしかも秀忠の後継者問題でも頭抱えているし、息子や孫を改易に追い込んだりもしている。その苦心の成果が御三家(御三卿)とか言う世界でも類を見ない後継者安定制度であると。
なので、江戸時代では世界史では珍しくもない血を見るような大規模な後継者争いやそれによる政権の混乱はせいぜい幕末ぐらいしか起きなかったと。
>>88
最新の学説だと松尾山奪還で大垣城出撃した宇喜多等を東軍がケツから攻め立てて瞬殺では?
>>81
蔵入地料の収入を福島正則や黒田長政みたいに横領してたなら、
7〜80万石程度になったんだよな。
三成監督で大谷がヘッドコーチ他になり手おらんやんけ
>>88
最近の学説だと最初から小早川は東軍だったみたいで、西軍もそういう認識だったとか
それで小早川の背後に簡単な出城作って豊臣秀頼が出陣のはずが、豊臣秀頼がそれを知って出陣を拒否したので、どうにもならなくなったとか
>>92
竹中半兵衛や黒田官兵衛は地域の調略に大活躍だが、
戦場では崩れない先鋒(これはこれで凄いが)程度で特段の軍功無いぞ?
>>19
成が戦下手?
・賤ケ岳の戦いの真の一番槍(七本槍は第二ランドのそれ)
・小牧長久手では伊賀伊勢方面攻略に尽力
・朝鮮出兵では後方や監査の傍ら前線指揮取って明軍を何度か撃破やその戦略を立案
・関が原では黒田隊らの大軍相手に互角以上に渡り合ったどころか家康本陣強襲を行い忠勝隊が大慌てで救援しなければならないほど追い込んでいる
どう見ても戦下手には見えないのだが
>>19
>ケツの穴が小さいし
それお前さんみたいに事務仕事理解できない人間の妄言だけどな。
実際には事務仕事には厳しいが自分らの都合に関しては親身になって話を聞いてくれて配慮までいてくれていると感謝の手紙まで残ってるけど
というか内ゲバ状態だった島津にやってきて手助けや便宜などを図ってくれたのが三成なので。
>年貢を取り立てる、払えないなら娘を売って払わせる
信玄さんちの御法度にそういうのありましたね。というか人身売買ないしそれの類似行為は戦前までは珍しくないけど。
後、百姓離散とかいうのは島津の統治が問題であって三成も責任ではないのだが。というか江戸期でもだいたいそんなもんな上に積極的に戦争捕虜まで売っていて宣教師から「うちらだって他宗教多宗派の人間は売っても流石に同胞は売らないぞ」とドン引きされている島津さんにどうこう言われる筋合いも責任もないが。
更に言えば検地や刀狩りなどに対しては豊臣政権と大名権威を拡張したい派閥は譜代や国人領主の権益をそぐことになるので積極的に行っており、それで被害者面して権力者や文治派を悪く言うのは別段珍しくもないけど。
>>21
普通に有能と評価されてるぞ。
単に良くも悪くも軍人から一歩たりとも出ようとしなかったのが問題で。
なので、評価している人でも「その才に見合った国際的視野と自覚があれば…」と嘆いている。
根回しや人心掌握が下手そう
>>125
人心掌握はともかく根回しはできた方だと思う
ただ相手が当時最強の家康なのは流石に無理ゲー
>>57
北政所は宇喜多可愛がりの反徳川やぞ、何言ってるんだ。
>>82
家康とはいい関係で、襲撃の時は家康がかばってたけどな
>>121
そもそも秀吉は諜報や外交担当の文官なので。
実際に秀吉が初めて名前が載った書類は斎藤家の武将の引き抜き工作関係だし、そのあとも京都奉行として主に公家関係の対応や毛利などの外交案件を担当している。
そこに信長上洛の際に軍を任せてみたら予想以上にできる事がわかったので兼任させられただけ。
>>75
???
関ヶ原の前哨戦である杭瀬川の戦いなら島左近指揮の西軍の勝利だけど?しかも東軍の有力武将の重臣が戦死している大勝利ともいうべき勝ち方。
ちなみに夜襲に関しては島津が提案したのを三成が避けたとあるが、あざとすぎて効果な見込めないとするのが後世の大半な意見な上に三成を悪く言って自分らをごまかそうとした島津のプロパガンダ説=夜襲そのものが企画されていない、話に上がったが三成関係なしに却下された説が有力だけど
石田三成は20万石の大名に過ぎなかったからな。
石田三成が100万石の大名だったら結果は違ってただろ。
豊臣秀頼が西軍の総大将になってれば結果は違ってただろ。
大阪城も使えるし。
>>65
武将としても官僚としも有能な武将で江戸初期だか中期だったら名君だか名宰相になっていてもおかしくない才覚。
関が原時に足りなかったのは格とそれを育成する時間…文字通り10年早かったとしか言いようが。
そろばん出来る人が少ないからそっちにまわされたけど
いくさも出来る人なんだけどな、三成さんは。
>>63
もう、最初から小早川秀秋は家康側だった説だよな、最近は。
>>4
虞美人(傾国)を抱かなければ…
クラス内のクソ真面目でクラスのほぼ全員から嫌われ疎まれてる奴っているやん?
石田三成はそんなタイプの人間だと思う
結果奴が天下を秀頼成長まで取り仕切る事が出来たとしても秀吉のお気に入りという立場を傘にした極端な圧政をし続けてたと思う。
>>132
当時としては「関ヶ原の戦い」は豊臣家臣団の内紛だから、勝った方を取り立てれば豊臣家は安泰、って思ってんだろ。家康も幕府開いて秀忠に譲ってとか、10年かけて慎重だったし。
石田三成の大河が無いのは人気無いからか?
>>57
北政所が家康に対抗する気があったなら大坂城二ノ丸を明け渡して京都に隠棲なんかしない。
寧々さんは徳川家康より格上(従一位)だったんだし。
>>13
朝鮮の役
加藤清正・藤堂高虎・福島正則・黒田長政・小早川秀秋「「デカい手柄立たで!!」」
石田三成「計画外の戦果なので褒美は無し。ってかワイらの計画無視してるから軍律違反として秀吉様に報告するわ」
小西行長「そもそも戦争に反対やから。結果的に戦争出来なくなるなら石田三成の意見に賛同するで」
>>132
秀頼は本来東軍なんだよ
家康は秀頼がガキだから総大将を務めただけ
>>139
サブキャラで散々やってるでしょ
そもそもメインに向かない
>>77
秦もその後の漢も宦官が国を終わらせたな
タマ無しになるとどこか歪むんだろう
>>130
杭瀬川の戦いが島左近(石田三成)明石全登(宇喜多秀家)の指揮だから、
宇喜多主導の戦いだろうな。(島左近が発案者かな?)
それを島津が改竄して島津有利なプロパガンダとして流布したんだろうな。
真実を知る者が誰も居ないし。(毛利勢は城外だし)
毛利に話し通ってたなら血の気多い毛利秀元が大人しくしてないしな。
>>16
真田攻めの命令はしてたけど「関ヶ原で戦するからそろそろ来て」と伝令を送ったが悪天候による悪路で伝令が遅れてしまい関ヶ原合戦の2日前〜1日前に漸く伝令が到着して慌てて関ヶ原へ向かった。
そこでも悪天候で関ヶ原の数日後にようやく到着したが家康は遅参そのものには怒らず「災難だったな」と笑っていたと言われていた。でも怒っていたのは確かでその理由が本軍を置いて数人の供回りだけを連れて参上し、本軍も疲労困憊で戦争どころでは無かった状況にブチ切れてた。
しかし、関ヶ原の合戦が徳川家本軍無傷の勝利だったこと、木曽山中で足止めを食らった結果、真田軍の援軍を防いだこと、石田三成ら西軍の進軍・迂回ルートを結果的に制限させたという意図せぬ援護が功をなして許されたらしい(榊原康政の弁明もある)
>>22
秀忠が遅れる以前に、秀忠に美濃入りの指示を届ける伝令が大遅刻かましてるから間に合うハズがない無い事実
小諸に居るの「明日までに赤坂に着陣
しろ」とか無理やっちゅーに
>>83
毛利や宇喜多の名前で信用しろと言われてもね…
>>18
人望はないわけではない。
他の秀吉子飼いの武将や朝鮮の役による石田・小西の讒言によって不利益を被った武将からはこれでもかと言うほど嫌われていた。クソ強武将ばかりに嫌われてたので彼らを味方に引き込めなかったのも大きな敗因だったし、大阪に居た大名家族を人質に取って言うことを聞かせようとした行動も強い反感を買ってしまった。またそのせいで細川忠興の妻、細川ガラシャが自害した事で奥さん好き好きヤンデレ武将細川忠興を本気で敵に回した。
>>116
世襲親王宮家の例に倣ったモノだな。
>>137
真田信之が幕末まで個人的な手紙を残してるレベルなのに
>>112
増田長盛は長宗我部とかそこら辺だろ
>>107
だからその襲撃自体も無かったことにされてるんですが?
>>129
上洛戦前に墨俣砦の守備成功させてるし、
上洛戦で箕作城攻め後に京都奉行就任だぜ?
>>112
津軽氏なんてのちに三成の娘を妻に迎えてるし息子の重成も保護してる
関係が途切れたわけではない
憶測でものを言ってはいけない
>>137
女連中と教師のウケが良いからクラスのちょいワルグループに嫌われてた感じだな。
>>127
だったら間違いなく秀頼を擁して反徳川の狼煙を挙げただろうに。東軍側からも離反者が
続出するぐらいにな。
人望もカリスマもなかったので無理。
>>137
自分の領地は善政を敷いていたのに!?!?!?!?
>>43
長束正家
←徳川家大嫌いを体現した頭脳派イケイケ武将
西軍に参加 伊勢安濃津城攻めを行う
その後、西軍敗退を察して自害
増田長盛
←実は徳川に加担していたとの噂もあるが三成にも協力していたということで改易されて高野山に軟禁される。その後、息子が大阪の陣で豊臣方へ与し戦後に自害させられる。
浅野長政
←五奉行で唯一、明確に東軍側に付いた大名。息子の幸長は関ヶ原の戦いで武功を上げる。元々家康とは囲碁友達で大の仲良し。因みにこの時、家康暗◯を図ったとして奉行を辞めさせられているがこれは前田利長を追い込む為に家康と仕組んだ謀略だったと言われている。
前田玄以
←石田三成の補佐と家康への情報提供するなど両陣営間を奔走する。関ヶ原合戦後も秀頼の後見人を申し出て最後までどちらの陣営にも与せず中立を貫いた。戦後は徳川家家臣・板倉勝重の仲介(「前田玄以を罰するなら腹切ります」)と徹底した中立派を貫いた事が評価されて所領没収も無く安泰
>>120
だがそれなら西軍側の布陣がおかしい。脇坂、朽木、小川、赤座、大谷らの陣営が小早川に
向いていなきゃ変だろ。でも布陣はこれらの軍は小早川軍を守る形に布陣されている。これは
やはり小早川軍はどっちつかずの態度をとり続けていたため大谷勢以下の武将たちは小早川を
警戒しながらも西軍として扱おうとしていたんじゃないかな?
>>140
宇喜多秀家が豊国神社で家康打倒の必勝祈願をしたときに賛同して、信頼できるものを名代に立てている。
隠棲したのは逃げ出したから。
わかってて言ってるだろw
>>28
ぶっちゃけ兄の方が武功も為政者としても有能だったからな。昌幸は言わずもがな幸村は猛将として知られてはいるがそれ以外に突飛した才覚は無く、領民からの覚えも良くなかったとも言われてる。逆に兄の信之は領民や家臣達からドチャクソ愛されてたし慕われていた。
>>157
北政所は加藤や福島とは意外と疎遠なんだぜ
「直江状」が伊達政宗の謀略説って面白いな。
>>45
細川忠興、小早川秀秋、最上義光らの三成に対する恨み辛みはハッキリ言って妥当。
>>149
讒言とはw
>>36
3人とも為政者として有能だし身内からも慕われてる(正則は酒の席の勢いで家臣に切腹を命じてた)
自分達で倉入地じゃなく領地を確保していれば勝てた。
>>53
徳川家康「軍を動かさないなら領地は安泰ね」
吉川広家「三成は泥舟。徳川家を信じるべし」
毛利輝元「おかのした」
石田三成「徳川家滅亡後は毛利家が執政をしてね」
毛利輝元「マジで?協力するする!」
徳川家康「三成と密約交わしたらしいな?」
吉川広家「輝元は馬鹿だから勘弁して下さい」
毛利輝元「…ごめんなさい」
徳川家康「領地没収で安芸に引き篭もってろ」
毛利輝元「トホホ。でも毛利家は守れたで」
>>132
家康
「秀頼様を巻き込ませたくない(面倒になる)」
三成
「秀頼様を巻き込ませたい(徳川が名実共に謀反人にさせる事ができる)」
淀殿(秀頼の母)
「家臣の争いに秀頼を巻き込ませたくない。なんで三成は秀頼を巻き込ませようとするの?秀頼を守るとか言っといた考えてる事は結局それか? 秀頼は絶対に戦場に出さない」
>>159
家庭内社会と家庭外社会とは立場も評価もまるっきり違うんやで
>>151
仲良い人とは仲良いけど時代の流れがそれを許さなかったんだわな。でないと自分達も滅ぼされるし
>>125
東軍には黒田やら細川やらいるし、三成1人で組織力の差を挽回するのは無理よ
>>167
行長「三成は真っ直ぐな男よ!野心を抱かずただ只管に豊臣家大事!」
清正「何処が真っ直ぐか!?彼奴の讒言のおかげでいかほどの屈辱を被ったことか!!」
行長「讒言とは言いきれまい!!」
清正「だまらっしゃい!!武人の心が分かるわ武人のみ!!」
行長「御無礼つかまつる…!(その場を去る)」
>>172
圧政を敷く理由は?
善政を敷いてて、私財を残していないような人なのに。
>>137
仕事飽きたからもうやめたいと真田兄に愚痴こぼしてたのに・・・
>>125
根回し後のフォローのお礼まで手紙が残ってるんだが
>>133
秀吉存命時もだけど言うように江戸の安定した時期だったら物凄く手腕発揮しただろうね
惜しい人材
>>65
ちなみに三成と家康は仲良しだからな
>>57
戦いさえならなかったな
少なくとも関ヶ原では
>>175
なんじゃそらw
>>164
そして意外と三成とは仲が良い
>>140
格上と言っても当時日本最強の大名である家康に圧迫されたら何もできないんで大人しく大坂城を退去したんだろ
>>14
というか家康は秀忠の遅参を怒ってないんだわ
強行軍で兵を使えなくした方に怒ってた
>>164
姑(大政所)の親戚だしな。
>>169
やれない事も無かったけど、やっていたら
大陸派遣組の更なる反発をかっていたと思う。
>>146
徳川秀忠を処罰すると累が本多正信にも及ぶから逐電されちゃう。
あんな危険人物をのに放ったならオチオチ眠れない。
>>171
史実は一日で戦闘終了だったけど
長対峙が予想されてて、秀頼さんを陣中に長期に置いとく事はリスクも大きいしね。
陣中で病死しましたとかなったら目も当てられないし。
>>160
長束正家さんは正室が本多忠勝の妹なのに反徳川の謎。
なお奥さんは関ヶ原後に池田輝政の軍に陵.溽されたので降伏した長束正家と城兵は皆ゴロしされた。
前田玄以は朝廷担当だから処罰すると朝廷工作に支障でるからなんだろうな。
>>174
DQN細川忠興は調略無関係では?
まだ藤堂高虎のが暗躍してそうだが。
豊臣秀長の家老として顔も名も売れてるし。
>>153
それだと細川忠興加増の理由は何なんだ?
>>175
小西行長商人上がりだが、加藤清正も鍛冶屋の息子だから武家の出ではないぞ?
まだ石田三成の方が武家の出だぜ。
歴史というのは生き残った者たちに都合よく改竄されてるもんで
石田三成は総大将みたいに脚色されて全責任を負わされた可能性がある
そもそも毛利のような大大名が三成如き小者に良いように動かされると
考えるのがおかしい
実際には毛利家の中の反家康的な連中がクーデターを起こしたが
それを吉川広家が抑え込み、家康と和睦したと考えた方が自然だな
ただ、それだと輝元も処分しなきゃいけないが、それでは輝元が納得しないから
本当の総大将は三成だったみたいな話にして事を収めたんじゃないか
>>166
細川忠興>千利休処刑の逆恨み
小早川秀秋>重度のアル中で判断能力無し。
最上義光>豊臣秀吉に対する恨みの代償だな。
>>170
吉川広家は個人的に石田三成に恨みあるからな。
(毛利輝元後継問題で領地転封かつ減封案を三成が出したから)
>>161
NHKBSでは、大谷脇坂の陣は対松尾山で築かれてると説明してたで?
>>155
関係が切れたなどとは言っとらん
取り次ぎでなくなっただけだ
そもそも統一前と統一後でシステムが変わっているからな
>>15
宇喜多秀家の豊国神社参詣の方が毛利輝元出陣要請より先だから、
宇喜多秀家が首班では?
>>11
人望というか、人徳というか、そういうのが皆無だけど優秀で忠実な人っているよね
主人の秀吉が稀代の人たらしだったので天下取ったみたいなもんだし、比較対象が家康だもの、無理もない
渡海侵攻の数十万という兵站を差配するのは現代でも厳しいだろ
風土病や病死以外で有名どころの戦死がないほどだし
戦に弱いっつっても弱いんだけど負けた忍城戦で一緒に戦った連中との付き合いはずっと続いてる
福島加藤が家康に手のひらコロコロされすぎじゃね
>>201
ほんとうは、苦労の恨みの矛先は秀吉さんに向けるべきなんだろうけど
小西と三成が悪いとするしか無かったもんで。
三成は戦での功名がゼロだろ。どこそこの城を攻め取った、豪傑をひねりつぶしたとかの。武将としての
レベルが低いんだよ。食料調達やら資材運搬は戦の功名にはならないんだ。その辺が西軍武将を惹きつける
魅力無しになったんだろうな。
>>197
オレはNHKは信用せん。
三成さんが有能だったから日本は渡海作戦を実行できました。
でも、結果の出なかった戦いの功労者は戦犯扱いとなります。
>>199
書状から伺える五大老序列は宇喜多が一番下だったはず
>>180
主君>>友人タイプだろうしぶつかるなら無関係
それが関ケ原に至る流れ
>>35
実力はともかくも有楽斎に討ち取らてだけで弱いイメージになってしまう。
前田を豊臣が見捨てた時点で詰んでる
徳川の主力
親利家だらけやん
天下を取ると言ってもあくまで豊臣政権の一官僚でしか無いのだが…
>>209
見捨てたというか前田が中央の政争から退いた
前田利長は自家の統制で手一杯だからな
>>196
というか宇喜多もそうだけど毛利の家内紛争の仲介をやったのが家康。
で、家康はその両方とも仲裁に失敗している(後世、両家の勢力をそぐための策力扱いだが)上、退職ないし追い出された家臣を引き取っているので両家から無茶苦茶恨まれてる。
で、三成はせいぜいがその事務手続きやっていただけ
>>154
当時は武官文官の区別があいまいなので
実際に三成も前線に出て指揮取ってるし福島正則や加藤清正も奉行の仕事してるけど
で、秀吉は元々は文官だったのがいろいろやらせてもいろいろできたので前線に出つつ毛利などの外交や公家や朝廷の業務などの仕事も兼任…という超絶ブラック業務をやっていたと。
>>170
実態はこんなもんやぞ
西軍結成前
毛利・宇喜多「お家騒動を家康に引っ掻き回されたのであいつを追い落としてやる」
大谷「でも、我々だけでは反家康連合の組織化は無理ですよ。人望ないし」
宇喜多「なら三成に任せよう」
毛利「あいつは有能で顔広いし、人望もそれなりにあるしな」(土も俺に付託しないから嫌い)
大谷「説得はこの盟邦である自分にお任せあれ」
大谷「というわけで恨み骨髄の家康を討つために味方してくれるよね?盟邦」
ミッチー「いや、俺家康さんと関係改善してるので恨みとかないし、そもそも以前、徳川方として軍をもって攻め込もとうしたお前さんが何で反家康で俺と盟邦面してるの?俺もそうだけど家康殿も今頃ドン引きしてるぞ?」(実際にしていた)
大谷「気にすんな。とにかく事務や後方支援、交渉の仕事さえやってくれればいいから、ちなみに拒否したら攻め込むのでよろしく」
ミッチー「時間とか全然足りねーから(実際に盟邦ガチ勢から「声かけるのおせいよ」とおしかりの手紙をもらった)どうなっても知らんし、負けた際の責任はちゃんととれよ」
大谷「おかのした」
>>214
関が原後
ヤッス「戦後処理をするんだが…毛利宇喜多上杉は…自害させて完璧につぶするのは現状ではできないので毛利上杉は大幅減、宇喜多は島流しで」
秀忠「概ねそれでよし…で、乱の首謀者を処刑としないと誰も納得しないぞ?」
ヤッス「とりあえずA級戦犯として嫌われ者の小西と毛利からの生贄の安国寺は処刑するとして…あと一人は欲しいけど大谷は?(怨)」
秀忠「結構無責任に戦死したぞ。あとそれクラスの立場も大体戦死か毛利上杉宇喜多系かダブスタ野郎しかいないのでA級戦犯として処刑は無理。それでもあえて挙げるとしたら…」
ヤッス「……ミッチー?でも彼の立場じゃ改易で何年かしたら再雇用でよくね?有能だし。」
秀忠「そうなんだけど、他にいない上に立場以上に活躍し過ぎて西軍の謀主扱いなんですけど…まぁ、本人には泣いてもらって生き残った子孫は見逃すということで。幸い津軽をはじめミッチーさんの盟邦(ガチ)たちが面倒みるとか言ってるし(実際にかくまわれた先で優遇されている)…今は無理でもこちらとしても優遇できるようにしましょ(家光が三成の子孫と結婚。その系列が御三家や二条など巡り巡って今の皇室に繋がる…というウルトラCの勝ち組路線)」
戦上手の三成さん「人望なくて関ヶ原は勝ち目ないから徳川に下るわ」