引用元:どうして江戸時代は中世みたいな世界観を長く続けられたのか
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1755998801/
1: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:26:41 ID:momj
あんな封建的な国近世なら珍しいぞ
2: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:27:34 ID:nPVb
鎖国してたからやろなあ…
3: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:27:44 ID:momj
そもそも封建国家は王との契約関係が上手くいかないもの
反乱が頻発するのがデフォ
反乱が頻発するのがデフォ
4: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:28:02 ID:q3Ez
デフォじゃなかったみたいだけど
5: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:28:05 ID:IsCJ
当時の世界で唯一の百万都市ってマジ?
7: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:28:36 ID:lUzw
鎖国無視?
10: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:29:19 ID:momj
>>7
鎖国してたけど国内では外交してただろ
鎖国してたけど国内では外交してただろ
8: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:28:40 ID:lM9x
風土に合ってたから
9: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:29:04 ID:nPVb
参勤交代とかのクソイベ頻発する代わりに藩の自治権デカすぎだから独立欲求低かったんちゃうか
11: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:29:50 ID:momj
>>9
江戸時代の殿様は領土拡張の野心とか
過去の因縁とかなかったんだろうか
江戸時代の殿様は領土拡張の野心とか
過去の因縁とかなかったんだろうか
13: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:30:09 ID:uN1S
>>11
武家諸法度でがんじがらめなので
そんなことしようとしたら速攻で潰されるぞ
武家諸法度でがんじがらめなので
そんなことしようとしたら速攻で潰されるぞ
16: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:31:14 ID:momj
>>13
よく民衆は反乱を起こさなかったよな
よく民衆は反乱を起こさなかったよな
18: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:31:33 ID:uN1S
>>16
そら生活が安定してたからよ
江戸時代の安定は圧倒的やで
そら生活が安定してたからよ
江戸時代の安定は圧倒的やで
21: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:32:17 ID:momj
>>18
安定してても上昇志向の野心家が民衆にいるかも
しれんだろ
安定してても上昇志向の野心家が民衆にいるかも
しれんだろ
17: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:31:18 ID:uN1S
歴史の先生が「歴史の大転換点で2つに分けるなら江戸時代の始まり」って言ってた
明治維新よりこっちの方が遥かに大きいらしい
明治維新よりこっちの方が遥かに大きいらしい
23: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:32:37 ID:nPVb
>>17
現代にあるほとんどのものって遡ると江戸時代からあるよな
江戸時代の街の延長にワイらは生きてる
現代にあるほとんどのものって遡ると江戸時代からあるよな
江戸時代の街の延長にワイらは生きてる
24: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:32:58 ID:XpLD
それ神聖ローマ帝国にも同じこと言えんの?
25: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:33:35 ID:momj
>>24
あれは教皇が偉いから
あれは教皇が偉いから
27: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:34:12 ID:pDVl
戦国で疲れたから平和を選んだんや
29: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:35:40 ID:momj
>>27
飢饉とか震災の時は戦争リスクが増えるぞ
飢饉とか震災の時は戦争リスクが増えるぞ
33: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:37:38 ID:AhZa
>>27
平和になるように努力したんや。
平和になるように努力したんや。
28: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:35:00 ID:oubG
国が狭かったからやろ
欧米なら1つの街みたいなもんや
欧米なら1つの街みたいなもんや
32: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:37:21 ID:my1H
天災が毎年のように襲ってくるから生きるのに精一杯だろう
機械もないから家も田んぼの修復もすぐにはできんし
機械もないから家も田んぼの修復もすぐにはできんし
38: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:39:56 ID:F9Gy
島国で外敵の脅威が少なかったんやろ
39: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:40:03 ID:8Ymz
戦乱の世より幕府に統治される方がマシだったんやろ
43: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:43:21 ID:eS8e
うまく運営してたからじゃない
45: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:44:08 ID:3pzp
いやスペイントルコが日本まで攻め込めないよねそもそも
46: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:44:33 ID:UGOl
町奉行という警察制度があったから狼藉者やら反乱分子はすぐ粛清されるからな
54: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:46:49 ID:my1H
江戸時代の頃が長く続けば地球も壊れなかったのに
欧米人が地面の下堀りはじめて人類のカウントダウン早まったわね
欧米人が地面の下堀りはじめて人類のカウントダウン早まったわね
55: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:46:56 ID:eMBr
イノベーションが起きなかったから
81: 名無しさん@おーぷん 25/08/24(日) 10:58:39 ID:IBNo
幕府初っ端の三代で有力な大名取り潰しまくったからね
しかも幕府も藩も財政難だから戦う金もないっていう
しかも幕府も藩も財政難だから戦う金もないっていう





































コメント↑↓
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徳川家康が地方を弾圧して鎖国して経済や技術の発展を抑え込んでいたからだろ?
たしかにけっこう謎だよな?
日本は有史以来、政権争いの戦を続けてきた国だったのに
徳川幕府時代になってからほとんど戦がなくなった
日本は有史以来、農民反乱だけは世界的に見て極端に少ないんだよな
なぜなのか
同時代なら、ドイツが封建制の国家だから別に特異なわけではない。
国が狭いのはでかいよな
日本の国は欧州の一つの都市程度の規模だ
日本が時代遅れだっただけだろ
徳川家康を見てると粛清は平和のために必要なんだな
>>3
全然少なくない
山城国一揆なんて、領主を追い出して自治組織で運営していた。
(国人勢力が味方に付いていたし、期間も短かったにしろ)
室町時代までは日本は中国に朝貢し続けてきたのに、江戸時代になってから敵対へと転換していったよな
>>1
安定のために発展を抑えつけるムーブは長期的に見ると国家としては大損になりそうに思えちゃうんだけど、ああいう時代だと体制が安定することのメリットのほうが大きかったりするんだろうか
>>8
そうなんか
なんか俺が勉強した日本史では一揆とかほとんど書いてなかったわ
江戸時代は政治的には封建主義国家だったにしろ、民間は近代国家に近いよ
経済的には為替や先物取引も存在してたし、文化・娯楽も多岐に渡っていた
国内的に言うと参勤交代などで力を削られ、親藩や外様などの藩の配置によって少数勢力が反乱しても無駄になっていた
国外的に言うと江戸時代の頃はまだ目立った外圧が少なかった
>>5
その欧州の都市ひとつが、今で言う国でええんちゃうか
国民の権利って、いわゆる市民権だし
日本は国民国民いうけど、向こうだと市民citizenやし
>>10
長く平和に統一が続くと自然と柔和して同化していくメリットは大きいと感じるな
経済や技術が発展しすぎると人々は格差に不満を持ち少子高齢化に陥り国は滅びそうになるしな
>>7
んなもん、劉邦みても分かることやろ
中世ヨーロッパは、王様の言うこと聞かない貴族がわんさかいて、しょっちゅう戦争してるわけじゃないですか。でも、江戸時代は将軍が「お前ら、毎年江戸に来て金と時間使ってね」ってやったせいで、大名が反乱起こすお金も暇もなくなった。
しかも、鎖国で外国の新しい思想とか、めんどくさいキリスト教とかが入ってこないようにした。だから、外からの余計な刺激もないし、中の権力構造もガッチガチに固まった。
その結果、260年以上も同じような仕組みが続いたって話。別にすごいことでもなんでもなくて、単に外部との接触を避けて、内部の力関係を固定化しただけですよね。
>>9
平安時代後期と鎌倉時代の約400年は全然朝貢してないぞ
室町時代も足利義満個人がやってただけで、義満が死ぬと廃止している。
(大内とかが勝手にやってはいたけど)
あと、江戸時代は朝貢なんぞしていないだけで、別に敵対してない
交易も行っているし。
>>1
小学校からやり直せ
>>9
無茶苦茶を言いおるな
貿易の利得欲しさに単発で日本国王に封ぜられて貿易した将軍がいたのを、日本が朝貢し続けてたと捏造するのか
何かの願望か? それとも中共の意向か?
>>9
どこでどう学んだらそういう認識に辿り着くんだ?
「江戸時代は鎖国ガー」なんて言うのは、真っ赤な嘘で、当時の幕府は「貿易縮小して外交の窓口は長崎に限定、貿易品はキリスト教関連の禁止」という外交方針をとったのみで、それ以外の医学、博物学や科学的文献は禁止していなかった。だから当時の蘭学者は地動説を知っていたし、オランダ経由での、年一回の世界情勢の報告書で、ポルトガル、スペイン、そしてイギリスと、世界の列強事情はよく把握していた。だからこその「鎖国」政策で、日本人が自由に江戸の初期から大挙してアジアに貿易で進出していれば必ずや「江戸時代版の大東亜戦争」が起きていたと思う。
今となれば、幕府の「欧米列強と無用な衝突を避ける」政策のほうが、結果的によかったのかも。
>>2
奈良・平安時代は藤原氏内部での政権抗争はやってたけど、戦争にまで発展したのは
平安時代末期の保元の乱から。
徳川幕府の治世が万人に納得できる無理のない公平な治世だったからだよ。家康のお陰だな。秀吉、信長では
こうはいかんな。
>>2
政権争いなんて、実際の政権交代の数を見たら日本がさほど多いとは言えないでしょ
>>22
洋書を解禁したのは吉宗からで、それ以前は洋書は一切禁止だよ
>>1
徳川家康や積極交易派。常識だろ?
「寺子屋 江戸時代」子供教育に進んでいた。
寺子屋は、江戸時代に庶民の子どもたちが読み書き計算などを学ぶために全国各地に存在した教育施設
日本は鎖国、寺子屋など子供の文字の読み書き進んでいた。
>>6
18世紀までの社会としてはむしろ先進的。欧米列強との差は19世紀の産業革命と市民革命によるもの。
>>9
平安時代初期に国交は絶ってる。再開したのは足利義満。
>>12
そのイメージは江戸時代というか、元禄以降だあね
江戸時代初期は、ろくすっぽ店もないし娯楽もない
江戸の風景を想像したとき、そのほとんどは江戸時代の後期に作られたもの
>>18
その時代は中華は戦乱が続いてて国や皇帝も乱立しててどこに朝貢すればいいかわからんかったんだろ
江戸時代は急に敵対まではいかなくても友好的から中立的くらいに傾き始めてしまったということな
19世紀以前の世界で、出版で食える小説家が存在したのは江戸時代の日本だけ。
>>28
ただ、完全に民間主導の教育機関で会って、国家としては庶民の教育に関しては
全く取り組んでいない。
ただ、これは読み書き・算術レベルの教養は必要な社会になっていたからと言う事で
社会的には成熟していた。
>>21
正史を読めば書いてあるだろ
江戸時代は中世ではない。近世だ。
動力の発明で人力便りの農業が変わるまでは、それしかなかったからやろ?
>>25
天皇とか将軍とか守護が代わる度に後継者を争って戦騒ぎだったぞ
>>26
Ai だよ
>あんな封建的な国近世なら珍しいぞ
こいつ、アメリカ以外の国を知らないんじゃないのか?
山ほどあっただろ。
中国清帝国、李氏朝鮮、ロシア帝国、ドイツ帝国、大英帝国、中東アジアなんて封建社会以外を見つけるのが大変
>>1
家康は貿易推進
鎖国したのは家光
>>24
民草の反乱という視点なら、刀狩りの徹底が大きい
秀吉が1番デカい
>>1
地方を弾圧とか何の根拠もない妄言で草
>>4
統一前ドイツは「森を抜けたらもう隣国」で王子王女が山ほどいる童話っぽい世界
>>41
それも徳川家康の院政だろ
>>43
俺の県ではいかに徳川家康に弾圧されて衰退したかの講義とかもやってるけどな
>>7
家康はたいして粛清してないだろ
>>13
参勤交代は諸大名の力を削ぐために行われた政策というのはもう否定されてる定期
明治日本の産業革命
明治維新以降、急速な近代化を進めた日本。わずか20数年で鉄道や電話、郵便といったインフラを整備し、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出
日露戦争、明治37年(1904年)2月の開戦から翌明治38年(1905年)8月のポーツマス講和会議までの18ヶ月にわたり、日本とロシアとの間で戦われた戦争を言います
>>17
その固定化を平和というのだが
バカは言葉遊びに夢中になって物事の本質を理解せんらしい
>>8
まさか、国一揆が農民一揆だと思ってるの?
追い出されたのは守護であって、追い出したのは在地領主である国人だろが。
>>35
書いてないよ
つーか、遣唐使の廃止とその影響なんて中学校の教科書にすら書かれるレベル
そもそも敵対という発想が謎
>>8
江戸時代では毎年10件以上は起きてるけど
武装蜂起とか革命みたいな、めっちゃ人が死んで国がひっくり返るようなことにはならなかった。
なんでかっていうと、まず、秀吉が刀狩りをやって、農民から武器を取り上げちゃったんですよね。
これで物理的に戦えない状況になったんで、武器持って暴れるっていう選択肢がなくなったんですよ。あと、日本の村ってすごく共同体が強くて、みんなで集まって話し合って、村全体の要求として領主と交渉するっていうやり方が確立されてたんです。
だから、命がけで代表者が藩主のところに直訴したり、村人全員で夜逃げして「年貢を納める人がいなくなりますよ」ってプレッシャーをかける逃散とか、そういう非暴力的な手段がメインになったんですよ。だって、武力で戦っても勝てないし、どっちにしても死ぬなら、話し合いで要求が通るかもしれない方を選ぶほうが合理的じゃないですか。
>>40
お前、封建制を民主制に相対する政体だと思ってないか?
民主制に相対する政体は君主制で、君主制にも封建制と中央集権制があるというだけの話だぞ。
実際、18世紀の有力国家で封建制を取っていたのはプロイセンくらい。
民衆が死なない程度になんとなく回ってれば政権は普通に長く続く
幕府は厳しい時期はあったけどなんやかんや最後まで大名や民衆に気を配ってた
>>40
中国を封建制とか頭大丈夫か?
>>42
民衆の氾濫(一揆)なら徳川治世でも何度も起きている。刀狩りはあまり意味がなかったようだ。
>>9
朝貢は別に続けた訳ではないかな
伊都国、奴国の頃(回数不明)、遣隋使AD600-618の間に3-6回(諸説ある)、遣唐使AD630-894の間に20回(最後は50年以上間が空いてる)、そして400年くらい空いて室町時代の足利義満が単発で数回でこれっきりだな
江戸時代も別に敵対してた訳ではないよ、明は鎖国政策取ってたし清は島嶼や海洋を清に取って無価値と断じて海洋国とは棲み分けてた
>>38
んで?
実際の政権交代の数を見たら?
まさか日本以外では後継者を争っての戦騒ぎはあまりなかったとでも思ってるのか?
>>45
ハイハイ死んだ後も幕末までずっと院政続けてたんでしょ?
>>32
この間、北宋は150年は続いて安定していた王朝だけどな。
>>35
どこの正史だよw
>>9
鎌倉時代なんて、朝貢どころか喧嘩してましたが
>>46
具体的にどんな弾圧をしていたのか教えてもらえますか?
>>61
異民族に負けまくってたんだけど?
>>32
いや、唐以外の何処に出すかなんて検討もされず、普通に日本側が唐への派遣をやめるように検討してやめたぞ
>>45
秀忠だよ
>>42
刀狩に従ったのは東国の民だけ
特に水争いの頻発していた西国ではどこの村でも名主が武器をそれなりの数隠し持っていていざという時に村民たちに貸与していたのはほぼ常識
>>18
因みに足利義教が再開してる
数十年も長く売れ続けてるお菓子みたいなもの
変わらないのがいいとなってしまった
でもお菓子も年ごとに味付けは変えてるんだけどね
>>68
因みに東国でも家康や利家みたいな有力大名には殆ど適応されてない
>>40
中華と朝鮮は封建制じゃないぞ、ただの中央集権だ
>>46
何の講義で家康の弾圧とやらが出るんだ?仮に弾圧が事実でも家康は将軍をすぐ辞めてるから秀忠以降だと思うが
武士への給料の支払いが、(欧米みたいに)金品等ではなく、毎年収穫出来る年貢(米)だったから、他国(領土)を侵略して金品奪う必要が無かった。
もう少し突っ込むと、小麦と米の一つの穂になる実の数は、小麦が約 30〜50粒 、米は80〜150粒、しかも稲作は麦と違って連作障害を起こさない。
つまり天候不順の場合を除いて、食糧生産が安定していて、穀物である米は年単位で当時長期保存できなく通貨と連動しているから、幕府は無理くりでも内需拡大を必要としていた。
よく江戸時代の飢饉が話に持ち出されるけど、同年代の欧州での飢饉の死亡者数と日本を比較すると桁が1、2桁違う。
>>45
家光が将軍就任の頃はとっくに家康タヒんでるんですが?
あの世から院政ってできるん?
また神聖ローマ帝国が無視されてる
東照大権現と台徳院による元和偃武のおかげで平和だった
宗教が力を持ち過ぎなかったことだと思う
江戸幕府は1603年から1867年の大政奉還まで
フランスのブルボン朝は1589年から、中断はあるが、終焉が1830年
スペイン帝国は1498年から1898年まで
ロシアのロマノフ王朝は1917年から1917年のロシア革命まで
オスマン帝国は1299年の建国から1922年の滅亡まで続いた
産業革命で中世が即消え去ったわけではない、この時代の変革には長い時間がかかっている
>>68
刀狩りが大きいのは武器を根こそぎ奪ったからという話ではなく言わば、お上が警察権を公式に握るという点
非公式に武装した集団はならず者であるというのは、今なら当たり前すぎて疑いもしないが
刀狩り以前だと集団は武力を保持していて当たり前というか必要で、単なる村でも武装する
>>25
安達泰盛「せやな玊袋がかゆい」
平頼綱「せやな玊袋がかゆい」
江戸時代のころ、アメリカはビルが立ち並んでる近代的光景だったと思うと先進的と言われてもねぇ
>>78
力を持ってたところは信長が潰したからね
言うて江戸時代も普通に神社寺の影響力は強かったけど
>>8
富樫政親「追い出すだけで済ましてくれるなんて優しいな玊袋がかゆい」
土木事業などはオランダからの技術提供を受けていたし、
農業技術、医療技術もオランダ経由で導入が進んでいた。
加えて、思想的には儒教朱子学を強烈に推進していたから
身分が上のものに反抗する気風は少なかったんだろうね。
自分より弱い人をいじめてストレス解消をする文化になったんだろう。
最も顕著なのは嫁を姑がいじめるというもの。
姑はかつて嫁であり、いじめられる存在だったのが
儒教の「長幼の序」で年取るといじめる権利が生まれるという、信じられない習慣だったんだよ。
>>6
西太后「なんでそんな東夷に負けたんや…玊袋がかゆい」
>>7
秀次「この粛清は必要でしたか?玊袋がかゆい」
>>1
地方は、それ以前の時代にくらべても著しく発展したんだが?
軍事以外の技術も発展してたし。
>>46
徳川家康は大坂城の豊臣秀頼の一味を根絶やしにはしたが、
大坂の街は豊臣時代より繁栄した。
>>78
宗教は祭祀と哲学から成り立つけど、
儒教教育に力をれて、哲学は儒教にしていき、
お寺は戸籍管理の仕事を与えて、統治システムに組み込んだんだ。
よく考えられた統治システムであり、
そこでは奴隷は奴隷のまま疑問を持たずに働いて死んでいったんだ。
>>51
そんな事言ったら、世界中で農民一揆なんて起きた事ないぞ。
反乱が多数起きた支那ですら地方支配階級の連中が指導者なんだし。
>>89
厳密に言うと秀頼親子を自害させたのは秀忠だが
>>53
普通に農村に武器は温存されてる。
何なら火縄銃すら。
完全武装解除されたのは宗教勢力と商人だけだよ。
>>85
まあ儒教を浸透させなければ第二の「明智光秀」「豊臣秀吉」が現れるので危険極まりないんだけどな
>>90
奴隷?
>>28
圧倒的多数の農民も年貢を納めるときに書類を書かなきゃいけないからね。
まあ、年貢を納めるのは本百姓以上の階級だから、
小作はそういう意味では不要なんだけど、実際は養蚕や綿花など稲作以外の収入もあるから
書類は書く必要があったんだろうね。
>>84
歌舞伎の勧進帳と加賀国一揆でしか歴史に名前でない「富樫」さん。
>>42
そもそも刀狩りは文字通り刀を押収した命令であり槍や弓、鉄砲には手をつけてないんだがな
>>82
比較対象がおかしいだろ
あと流石に当時のアメリカでは一部栄えてる場所以外中世と変わらない生活
>>4
宗教戦争最盛期で、封建システムも機能してないけどな。
オーストラリア軍の最大戦力が傭兵主体のヴァレンシュタインなんだし。
>>24
儒教朱子学による思想統制が強烈に効いたからだと思ってるよ。
それが現代でも大きな影響を保っている。
田舎に行くと思考の違いにビックリするよ。
>>79
訂正
ロシアのロマノフ王朝は1613年から1917年のロシア革命まで
>>31
それは江戸の話であって、
江戸時代初期は文化の中心は大阪だったから、大阪は文化的だったと思うよ。
>>14
イタリア諸都市>せやな
>>86
支那王朝は、毎回毎回後宮の無駄遣いで国傾けるよな。
「傾国」の言葉が産まれただけあるは。
>>45
家康「それやと大御所政治というか大権現政治になるな玊袋がかゆい」
>>91
アホなのか?
国一揆は農民一揆で国人が味方についた、というものではなく、国人が主体の一揆だ、という指摘なんだが。
日本で支配階級でない階級の一揆として、土一揆があるがな。
それから一揆という言葉は反乱を意味するものではなく、揆を一にする・・企てを一にするという意味であり、必ずしも武力を伴ったものではないぞ。
>>7
粛正魔は徳川秀忠の方だが?
>>2
治水などの大規模公共事業に積極的に移行したからだと思っているよ。
治水事業も戦争も公共事業だからね。
>>63
使者「うちに朝貢したらどうアルか?玊袋がかゆい」
懐良親王「は?!化外の王に貢ぐわけ無いやろ!!マジでムカつくこいつら斬り捨てろ」
>>7
徳川綱吉>ワシが吉良家粛正(赤穂事件)したのは、
徳川家の為(秘密保持)に必要だったんだよな。
>>1
民衆の教育が行き届いていたから。
ヨーロッパや隣国等の盲目的従属支配は識字率の高い我国においては不可能であり民意の反映なく治世を行えなかった。日本の中世は単なる専制政治ではなく民衆とのバランスを保持しながらのトップダウンだった。
>>56
時代を考えればそれで正しいんだけど、そもそも封建制という言葉は中国製だから、中世ヨーロッパ的自力救済社会を指すには不十分という点を考えればシュールだよね
“封じ”て国を“建てる”という言葉が、生まれた本来の意味で機能してたのは一部の時代だけで、斉を作った太公望が代表例だね
>>93
横からすまないが、完全武装解除うんぬんは的外れ
民間の武装が非合法化されると、政府に対して武装蜂起で対抗するのは現実的に無理になるから
刀狩りの意義はそこにある
>>32
平氏が私貿易で懐温めてるから、大陸との交易自体は絶える事は無かった模様。
元寇の時にも博多には唐人街があったわけだし。
>>20
日本国王印を授けたのは倭寇取り締まりの為なんで、
足利義満から要求したモノじゃないけどな。
>>103
元禄辺りまでは、近松門左衛門とか文化エリートは上方(大坂&京都)だしな。
>>82
太平が続いた日本と、弱肉強食の西洋で先進的な分野と遅れていた分野を考えると、「覇権を追い求めているかどうか」というメンタリティの差なんだろうね。工学や化学によって戦争が強いことと、先物取引や娯楽の発達していることを一律に評価はできないだろう
ただ、結局暴力に優れた側が支配することになるのが現実だったし、帝国日本は一転してそれを追求し、敗北した後は再度捨て去った
結果戦後日本はトイレなんかは優れていても世界の覇権がかかるような場面のIT産業では負けた、それまではリードしていたというのは、世界がそれを重視していなかったからに過ぎない。これはビデオゲームの分野などでもいえ、単なる少数派の娯楽としてしか見られていなかった時代は日本が先行していたが、プロパガンダや軍事訓練などに使えると認められて以降は、本気になった他国がそれ以上のものを作るようになっている
>>13
支那王朝みたいに親藩勢力が反乱起こさなかったのが大きいな。
徳川将軍家の終焉が親藩の尾張家の裏切りなのも象徴的だ。
>>35
現代日本に「正史」など存在しないはずだが?
>>85
朱子学(外面による体制秩序)を本気でやってたのは都合のいいお上だけで、一般学者なんかは陽明学(内面道徳による社会秩序)を重視していたとも聞くけどね
中世は自力救済が基本。
江戸時代は近世で公助もあった。
>>101
朱子学の普及は徳川綱吉の時代になってからでは?
家光時代までは、町奴や旗本奴が居たわけだし。
西欧では中世の暗黒時代を1000年続けた実績があるがな。
>>103
民間という点では、大阪であっても文化や娯楽は近代に及ぶべくもないでしょ
なんなら常設の小売店すら、ごく一部の町人街でもなければほとんどない
現代で想像する「お店」「小売店」の出店がまともに広がるのは江戸時代になってしばらく時を待つ必要がある
これは武士や戦闘者のおかげだよ
幕府統治、リサイクル社会、鎖国、武士
オランダだけと貿易と日本が言っていたがよく考えてみると極東の島国の言う通りに白人国家がしていたのは稀有なこと
当時の白人なら可能ならすぐに攻め込むくらいはしていたはず
それが出来なかったのは武士が多く強い戦闘者も多く侵攻不可能と見られていたからでしょう
実際江戸時代になっても欧州から傭兵の派遣依頼が何度も来ていたとか
いくら鎖国言っても農民しかいない国だったなら即侵略受けていたと思いますね
当時の白人はそのくらいやばい連中でした
日本の歴史で中世と言えば鎌倉、室町、安土・桃山の感じ。
江戸時代は封建的だが近代の基盤の時代。
>>9
中国が発展したのは日本に朝貢したようなもん
日本が技術を教えてやって見返りが同等じゃないのはまさに朝貢のような関係で父とか兄とか片腹痛い
元スレ主が言っている中世は、ヨーロッパの中世世界だよね。
ヨーロッパの中世世界と日本の江戸時代は別世界です。
>>96
書くより立札などの御触書を読むのに必要不可欠だったのでは?
書き物は一揆の連盟書ぐらいだろうし。
>>72
江戸幕府は完全な中央集権ではないよ
色即是空 生死事大 禅寺は 前近代における京大であったか
近代主義のミクロ圏 量子学者が宇宙望遠鏡を覗いたら お寺の曼陀羅が見えたそうです
ポツリ グローバリストのユダヤ人学者 日本は「最後の近代」を止揚している と、、、、、
それとは裏腹に 止揚出来てない 朝賎中指立て隊は 中世の土民なのでしょうか、、、、、
>>75
西田敏行ならやりそう
>>46
どこの県ですか
>>25
政権争い自体は他国並にあるけど
>>40
大清帝国やドイツ帝国(1870年成立)や大英帝国やロシア帝国は中央集権制で国軍が主力だから、
封建制とは違うのでは?
オスマン帝国やムガール帝国は封建制だが。
中世なんていう時代概念は今の歴史学ではもう使われてねえよ
>>74
北陸や東北や山陰以外は二毛作が基本だぜ?
>>4
帝政ドイツ終焉で共和制ワイマールになるまでは封建的国家だわなあ
大日本帝国的中央集権国家に至ってはナチス時代と東ドイツのみだけでようやく実現できたし
>>65
実は異民族との争いも鎮火してた。遼が北宋から貢物もらうだけで納得してたからな。金が出張るのは最末期
>>83
江戸時代最大の金融機関が寺社だからね。
金こそ力よ。
>>20
朝貢なんてどこも儲かるからやってるだけだぞ
>>90
朱子学のせいで国学が産まれ、討幕の原動力になる喜劇。
>>63
元寇の時だけね
いやあの当時は世界じゅうどこも似たような封建体制だっただろ
選挙をして議会があってなんて国はごく一部だし中央集権官僚体制も同じ
別に江戸が特殊だったわけじゃないく封建制が圧倒的多数であり鎖国も関係ない
>>95
朱子学では君(主)以外は君の所有物=家畜=奴隷(財産)だから、
間違いではないかと。
>>12
それは経済の発展という話。国家としては近代からはかなり遠い。社会、経済、政治体制それぞれ見ないとあかん。
>>71
刀狩りでなぜ大名が出てくるんだよ
>>140
北宋は燕雲十六州を奪還するのを至上命題にしながら結局適わなかったぐらいよわっちいんだが
だいいち負けたから貢納するという条約結んだんだろ?
でなけりゃプライドの高い中華王朝が異民族に金を払うとかありえん
>>131
72だけど、江戸幕府が中央集権なんて書いてないけど
>>55
民衆が死にまくっていたのに千年も続いた平安時代の王朝政治は悪い意味で奇跡だな。
>>82
ニューヨークに摩天楼立ち並ぶのはWWⅠの後の
狂乱の1920年代になってから。
>>74
同じような戦国時代は他国に侵攻しまくりだった訳たが
>>85
秀忠が積極的に傾奇者弾圧したおかげだな。
>>28
江戸時代、所謂「合戦」の様な武士の本領である荒事が無くなり、結果、武士の数に対して年貢などの収入源の絶対数が足りなかった。
だから(下級)武士は、時代劇等で見れらるアルバイト(かさはり、道場、寺子屋)に勤しむしか無かった。
日本は世界的に見ても自然災害が多い所で、M6クラスの震源の18%が日本に有り、近年まで占領下になった歴史がない。
つまり何が言いたいかというと、日本語の読み書きは、支配者が民衆に支持する為の言語ではなく、口伝や伝統等を継承を伝える為の訊く言語。
だから支配層だではなく、源氏物語の様な女流作家によるハーレクインロマンスが日本文学の最高峰になったり、室町時代の大工(一般人)のいたずら書きの文章が残ったりしている。
中世欧州では活版印刷による出版文化が形成されたが、これはあくまで聖書やハイソな人達の為のモノ。
江戸時代の出版文化は、版画による浮世絵(当時のプロマイド等)や、東西番付等のような一般庶民の出版文化だったんだ。
>>146
酷い曲解だな、朱子学というか儒教では国は家みたいなまので国民は家族だぞ。天子の所有では無いし。
>>124
日本にも平安時代千年という暗黒の実績がある。西洋には負けん
>>127
だから100年以上前から干支は近世と区分されてる。歴史で習うはずだ。
>>126
オランダにとっては日本との貿易はそれだけ儲けがデカかったんだよ。
英蘭戦争で新大陸の植民地を失い海洋帝国の地位から降りたオランダには、
武力で日本占領する力もないし。
>>158
干支じゃなくて江戸時代ね。間違い訂正
>>137
バリバリ使われてますが
>>145
世界史を勉強し直して
>>9
近年の研究で実は足利義満は明への敬意なんて全くなかった説が浮上して笑える
イギリスも各地の領主と英王家との主従関係の封建制が次第に、そして形式的形骸化してものになってきたとはいえ、割と各地の英貴族領主である大公爵、公爵、侯爵、伯爵・・・、と主君英王家との間での封建制度やで。
たとえば、サセッ・クス公爵というのは七王国時代の旧サセッ・クス王国の領土を拝領領有する領主称号。
欧州の王侯爵位を日本の幕藩体制で例えると、各藩にそれぞれ藩領を拝領や領有している藩主がいて、それぞれの藩ごとに格式序列が付けられていて、それが~大公藩だったり、~公藩だったりしている。 その藩領を拝領、所有した家のものが領地・藩名+格式称号を名乗れるし、子孫に領地と称号を相続可能となっている。
これ、イギリスだけに限らず、欧州の基本ルールね。
>>157
どっちも坊主が足を引っ張ってた。
中世っていう分類はヨーロッパの歴史および歴史学に沿ったもので、もともと日本には当てはまらない。
世界の歴史の学会はヨーロッパの歴史にしか興味がない。そういうもの。
>>107
土一揆も地侍(自作農)だから支配階級では?
だから、完全な農民だけの一揆の実例あげてくれないか?
>>164
今でも旧華族の日本人がイギリスに行くと貴族扱いされる事もあるとか。
ヨーロッパでは、絶対王政時代は近世に分類されます。
そして江戸幕府の支配体制は絶対王政に近いです。
>>153
最終的には藩が徳川幕府に反抗するって話になるけど、「御家取り潰し」覚悟で藩が騒ぐってドンだけあった?
確か江戸時代に合戦が行われたの1回だったはずだよ。
>>114
だから農民は武装は非合法化されてないし、
非合法化されたのが寺社勢力と商人(山賊海賊と同義)だけなんだよ。
>>102
厳密にはそのロマノフ家も、ピョートル3世(即位1762年)以降はロマノフ家の家督と家名を相続したデンマーク王家分家のシュレースヴィヒ・ホルシュタイン・ゴットルプ家になっているけどねw
ハプスブルク・ロートリンゲン家同様に、ハプスブルク家の家名もロマノフ家家名もかろうじてロレーヌ家やゴットルプ家の好意でくっつけて残してもらっただけだからw
極東の島国という立地で外部からの影響を最小限に留められるおかげでぬくり内政プレーが許されてただけなんじゃ?
いざ黒船が来たらあっという間にああなったわけで
>>139
地方分権制と封建制は別モノだぞ。
封建制は地方領主が軍役を自弁負担だが、
国軍主体のプロイセンは封建制とは違う。
>>168
まあ、与えてもらえるのは授与される有名無実(実=領地)な名誉称号だけだけどね
>>166
ヨーロッパの時代区分は、古代、中世、近世、近代の四区分
が主流な時代が長かったです。
そしてその時期の日本の学会では、戦国時代までが中世、安土桃山時代が近世に相当する
と言う考え方が主流でした。
中学で習うだろ
>「江戸時代は近世」
小卒か?
>>175
明治から戦前までの日本の爵位制度は欧州とは異なり、その名を冠した格式序列付きの領地を拝領してもらえたわけじゃないからな
外敵がいなかったのが一番大きい要因だろうなそれと、安定した体制で太平の世が続いてるから
いくら野心家がいても賛同者が集まらんし内乱は起こりにくい
>>170
なんか回答が的外れなをやだけど。給与に金使わずには戦国も江戸時代も似たようなもんなのに結果はなんで違うのという話だよ。
>>165
地獄に落ちますぞ
>>136
ドイツ帝国は、欧州連合みたいなものだぞ
加盟構成国が欧州議会・委員会のルールに従わないといけない部分と、各加盟国が自治で国内独自ルールを制定してやれる二重構造だから
>>176
西洋は古代、中世、近代の3区分の時代が長かったよ。
>>177
江戸時代を中世と言いたいのか
>>148
秀吉が大名にやらせるからだよ
ただ任せた大名によっては領民に対して適当に済ませた例も多いってだけ
>>183
元スレ主さんも、其処ら辺の事情知ってて
その上での煽りネタぽいんだよね。優秀なスレ立て業者。
>>169
全然違う
将軍にはほぼ実権がなく交代で勤務する幕閣が採決した物に決済の判を押す
>>167
107だが、それは農民一揆と主張している8に聞いてくれ。
あと土一揆、例えば正長の土一揆の主体は馬借で地侍ではないし、そもそも地侍=自作農であっても、自作農=地侍ではないだろうが。
>>136
ドイツ帝国に比べたら、徳川幕政のほうがより中央集権的だよ?
江戸徳川家と幕府の一存決定で藩主のすげ替えできたのだからね
ドイツ帝国加盟構成国の22カ国の君主制国家と3つの共和制都市国家の君主、首長のすげ替え、転封なんてその構成国相手に戦争覚悟じゃなければやれなかったから
>>187
天皇も将軍も臣下による合議で決定した立憲君主制的になっていくんよねえ
たまに歴代の中で絶対王政的な強権を駆使した将軍や天皇が即位するケースがあっただけで
>>142
誰もそこは問題にしてない
日本ではなく、とある将軍がやったのだし継続もしてないから、日本が朝貢し続けてたというのは明白な誤り
敵対へ転換というのも何を元に出てきた発想なのかさえわからない
コメ9が、まるでデタラメという話
金、銀、銅の貴金属の世界的産出国だったからね。
イギリス、フランスは自分の手を出さずに日本人に統治させていた方が利益が高いと判断してたからだよ。
新興国のアメリカが禁じ手を破るんだけどね。
>>178
欧州では皇帝や王以下序列格式順に大公爵、公爵、侯爵、辺境伯、(格式上の序列順位は低いが、皇帝代行として帝国連合軍の全指揮権を持つ)、伯爵となりその格式称号を持つ領地・国土所有の地主領主を意味しているけど、子爵と男爵は授与される名誉称号で特定の領地を持たない。
あと、皇帝領というのは基本的にないよ。 帝国内領土持ち王国や大公国、公国の君主から選出されている代表取締役みたいなものだから。
>>190
天皇は中世以降ほぼいない
唯一の例外が後醍醐天皇だが彼のせいで半世紀荒れた
>>157
平安時代は、世界史的にも異例な女性が文学の主流になる女性上位の時代。
>>151
平安時代は約400年、
京都(平安京)を1000年の王城と言うのは明治になるまで名目上、日本の首都が京都だったから。
>>174
ドイツ帝国に統一国軍は海軍以外は存在しないよ?(プロイセン王国以外の領邦は沿岸海洋領海を有していた海軍を持っていなかっただけだし)
陸軍はそれぞれ領邦各国の独自陸軍
帝国全体の出兵では各国が自国軍供出しての連合軍になっていただけ
>>181
ローマ教皇>地獄が嫌なら、コノ免罪符を買いなされ。
天台宗>地獄が嫌なら、お布施をしな!
>>194
天皇よりも退位した院のほうが荒れたわなあw
>>188
8だけど、自分は農民一揆なんて一言も言ってないんだけど、自治組織で運営されていた=農民一揆と勝手に解釈したのはそちらだろ。
>>199
中世以降の天皇は退位して院政始めてからが本格的スタートだしな
織田信長が正親町天皇に譲位を勧めたのもこの慣例が1世紀止まってたから復活させようとしただけ
>>149
平和には違いないだろ
>>174
プロイセン王国限定で言えば、プロイセン王国軍の指揮官クラスは王国内の各地主領主ユンカーとの混成軍連合軍やで。
>>149
弱かろうが、安定していた事自体はじじつだろ、勝手に話をすり替えるんじゃないよ。
>>159
オランダは台湾の拠点を鄭氏に奪われたしな
>>193
それ神聖ローマ帝国限定の話しでは?
ロシア皇帝は選帝じゃないし。
ナポレオンやドイツや大英帝国も選帝侯の推薦で帝国形成したわけじゃないし。
>>195
平安貴族社会では女性、婚家の権力、後ろ盾は絶大やで
だから有力な貴族の姫に男連中が必死になって求婚したんやで
>>202
常に外敵の侵入に怯えてる状態を平和と呼ぶのか?
形式手続き上は諸侯の合意と国民からの支持での即位な
国によっては特定の宗派じゃなければ認めないとか色々条件はあるが
>>204
弱っちいのを安定と呼ぶとか五毛は身びいきが過ぎるな
>>206
形式手続き上は諸侯の合意と国民からの支持での即位な
国によっては特定の宗派じゃなければ認めないとか色々条件はあるが
うっかり209で辺レス番付けるの忘れた
>>204
話しすり替えてるのはそっちな
異民族との争いも鎮火してるとか言ったのはお前だろが
>>200
3の「農民反乱は世界的に見て極端に少ない」に対して、8で「全然少なくない」と反論し国一揆を引き合いに出してるだろうが。
これで「自治組織で運営された=農民一揆と勝手に解釈」したとは、日本語大丈夫ですか?
それにこっちは51、107で国一揆は農民主体じゃねーよ、と述べたんだが。
>>206
ドイツ帝国建国時にプロイセン国王は他の有力諸侯、特にドイツ構成国第二大国で名門だったバイエルン国王にめちゃくちゃ神経使ってドイツ皇帝への推挙と承認してくれと頼み込んだんだぞ
世襲制にしてもらうことも含めて
>>180
『幕府は無理くりでも内需拡大を必要としていた』と書いてあるよね。
中央集権(徳川幕府)が取り仕切る物流が段違い。
日本列島は山脈が連なり、そこを河川等で分断される地域が多い。
つまり参勤交代等で「道」や「港」等が整備されない限り物流が滞り、大規模な遠征がままならない。
(江戸時代、100万人都市を成し遂げたのは世界中で江戸だけだ)
そもそも地図(地域の測量情報)は重要な軍事情報、各藩が徳川幕府に献上する年貢・石高が調べ上げられている。
「江戸切絵図」「伊能忠敬の日本図」程の地図、江戸時代前には作られなかっただろ。
>>188
自作農=土地持ち=武士ですよ。
馬借にしても資産階級で無産階級が一揆起こしたわけじゃない。
そして当時の資産階級は独自の武力持ちだよ。
>>202
梁山泊の皆様が大活躍(戦乱続き)なのに、
平和なのか?
>>208
今の日本が平和ではないと
>>195
正常位のがいいな
>>158 江戸の庶民 「 近世だって? なんだいそいつぁ、うめーのか? 」
>>63
源実朝>ワシ宋に朝貢する予定やったで。
>>214
ビスマルクの外交力の賜物だな。
その成果を馬鹿息子(ヴィルヘルムⅡ)が水泡に帰するが。
>>201
でも織田信長には金が無かった。
(武田家に金が無かった為)
なので金持ちの上杉家(日本一の金山持ち)と
毛利家(日本一の銀山持ち)の征伐待ちとなっていた。
正親町天皇のせいで潰されそうな上杉景勝さん、
可哀想す。
モヤるお題のスレ立てはもうお腹一杯
>>209
大英帝国のインド皇帝位にインド人の推薦あったの?
>>201
家康も院政やったようなものだしな
将軍位はたったの2年で秀忠に譲り、大御所として権力ふるったわけで
>>216
自作農=土地持ち=武士
この解釈が間違い。
例えば、惣村で大人と呼ばれるメンバーは自作農で惣村の自治を担い、また武力を担ってはいたが、あくまで地下階級であり武家に奉公していたわけではなく、武士階級などではない。
あと、ばしゃくが
>>227
すまん、途中送信してしまった。
227の続き。
馬借が資産階級というのはそのとおり。土一揆は農民一揆などではないからね。
今日の支配階級からしたら「土民」と呼ばれる地下人、百姓が起こしたものたがか、百姓=農民ではない。
オランダとしては利益出てたので貿易続ける意味はあった
しかしオランダみたいに小さい国だから採算取れたのが実情だった
例えばインドの東インド会社は本来はオランダのものだったが利益が凄いので容赦なく大英帝国はこれを略奪した、それと比べてればイギリスが奪うほどでも無かったってことやな
>>4
そもそも、産業革命が1760年、フランス革命が1789年。
世界がそれほど進んでいたわけでもない。
逆に1600年では銃の数を工業力と見なすなら世界一。
産業革命だけで言えば、日本はロシア帝国より早かったぐらい。
>>5
君が何をひかくしてるんかさっぱり分からんが、江戸は世界一の人口がいた都市やで。
>>65
宋が異民族国家やしな。
てか、大半が異民族国家やけどな。
>>191
そらそうやんw
「いったよな」という同意求めてるんか断定してんか分からん物言いが、完全にアホの子やでw
9は、先天的にイカれてるんやから会話にならんでw
>>31
そら江戸初期はそうやろ。
江戸という新都市を作るのに上方から商人連れていったんやし、
作りながら拡張し完成したころが元禄ってだけや。
江戸初期なんぞは、京、大阪、堺、金沢、大宰府よりも栄えてなかったんちゃうか。
>>147
聞くが、近代とは何をもって近代と言うんや?
ワイは産業革命と基本的人権に基づく市民権と考えるが、各々1750年と1789年や。
明治元年が1868年やが、それ以前に反射炉も国産蒸気船もあったぞ?
ついでにいうと、全身麻酔も乳ガン摘出も日本が最初で、世界より40年早かったな。
色んな角度から見るのは賛成やが、先に近代とはの基準出してくれんか?
>>42
武家統一し、関白名により支配地域の確定。
度量衡を統一し検地により、農民の定住と資産価値の共有。
大名と奉行により、地方自治と中央集権の両立。
大阪城と大阪の町作りや二条城等の大規模公共事業と絵画等の芸術育成。
戦乱がない時代への過渡期として、よく考えられた案やと思うわ。
インディオ「スペインを舐め過ぎ」