引用元:信長→秀吉は解るんだが秀吉→家康が解らねーんだ
https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1327508609/
1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:23:29.68 ID:N6oPPToE0
秀吉が死んだ後って別に家康は金も武力も1大大名にクラスに過ぎないのに、何でこいつに皆は着いていったん?
4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:25:30.71 ID:elM1WdFg0 BE:513433229-PLT(12140)
秀吉→220万石
家康→250
家康→250
上杉→120
毛利→120
5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:26:20.56 ID:N6oPPToE0
うーん 家康に皆が着いていった理由が全く解らん。
別にこいつに着いても恩賞が貰える訳でもないのに。
別にこいつに着いても恩賞が貰える訳でもないのに。
29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:44:37.11 ID:dUsjjjIj0
関ヶ原時はともかく終戦後は誰がどう足掻いてももう無理だったろ
33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:46:08.55 ID:/QDlUXNhO
5大老筆頭の権力で大名に結婚させたり援助したりいろいろして味方増やす
↓
ある程度勢力固まったら小山評定→関ヶ原で豊臣政権内の反徳川派潰す
↓
朝廷から将軍職もらう
↓
家康「じゃ幕府やるわ皆さんよろしく」
↓
豊臣家「えっ?ちょ待てよ」
↓
大阪冬の陣夏の陣
↓
ある程度勢力固まったら小山評定→関ヶ原で豊臣政権内の反徳川派潰す
↓
朝廷から将軍職もらう
↓
家康「じゃ幕府やるわ皆さんよろしく」
↓
豊臣家「えっ?ちょ待てよ」
↓
大阪冬の陣夏の陣
こんな感じであってる?
34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:46:20.38 ID:QtSSbSMV0
戦国初期と違って諸大名はみんな知り合いで政権の一員
で秀吉死後は一番の有力者が家康
どうなるか想像つくだろ
で秀吉死後は一番の有力者が家康
どうなるか想像つくだろ
36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:48:04.62 ID:N6oPPToE0
>>34
あー初期の動乱とは違って仲良しこよしなのか
あー初期の動乱とは違って仲良しこよしなのか
44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:51:58.52 ID:QtSSbSMV0
>>36
だからグループの中でいかに発言力を増して行くかが重要
もう周辺の領地を切り取って勢力を広げるような時代じゃなかってことだな
だからグループの中でいかに発言力を増して行くかが重要
もう周辺の領地を切り取って勢力を広げるような時代じゃなかってことだな
38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:48:11.42 ID:Zaiec59qO
小牧長久手で勝てなかった
結局力で勝てず政略でなんとか従わせた程度だから無視できない力を温存させてしまった
結局力で勝てず政略でなんとか従わせた程度だから無視できない力を温存させてしまった
42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:51:38.37 ID:N6oPPToE0
>>38
小牧長久手から秀吉の死去まで20年近くもあいてるじゃん?
小牧長久手から秀吉の死去まで20年近くもあいてるじゃん?
そんなに引きずってるのか?
家康だって関東に移されて弱体化してるじゃん。
43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:51:54.83 ID:lgqb6WRgO
家康より三成、秀頼に問題があった
45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:52:43.63 ID:WRdKiyxe0
家康が台頭する前に秀吉にいい歳の跡取りが居りゃ豊臣の天下は続いたんかねぇ
48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:53:51.29 ID:Rq/xhy/O0
前田利家が死ぬのが早すぎたな
50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:55:06.96 ID:cp6aAtDU0
秀吉というのは所詮は一武将上がりなので、信長と同盟関係だった家康の方が格的には全然上だからな元々
51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:55:07.52 ID:Pfu2VzLe0
三成が皆に嫌われすぎてたってのが一番でかい
三成(秀頼)に付くなら家康の方がマシって空気があったのは確か
三成(秀頼)に付くなら家康の方がマシって空気があったのは確か
53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:56:22.88 ID:cp6aAtDU0
家康は大名だからな
武将上がりとは全然違う
武将上がりとは全然違う
57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 01:57:42.85 ID:KddP3jay0
三成が嫌われてたのは体育会系がオタク嫌うようなもの
59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:00:19.11 ID:cp6aAtDU0
三成もそうだが大名ではないから
なんか面白くねえなというのはあるだろう
どうしても忠誠心は低くなるだろう
なんか面白くねえなというのはあるだろう
どうしても忠誠心は低くなるだろう
61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:01:30.08 ID:N6oPPToE0
>>59
ふむ そんなに違うもんなのか
ふむ そんなに違うもんなのか
62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:03:24.13 ID:cp6aAtDU0
そりゃ武将と大名は全然違う
特に家格というのが重視された時代だから
特に家格というのが重視された時代だから
109: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:24:10.24 ID:YOtgo5f/0
むしろ信長→秀吉への移行って光秀討った後も柴田勝家と争ったりで決してスムーズじゃなかったはずなのに
その間どさくさ紛れに家康が天下奪おうとか思わなかったんだろうか
その間どさくさ紛れに家康が天下奪おうとか思わなかったんだろうか
113: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:25:47.42 ID:QtSSbSMV0
>>109
甲斐を押さえたり信雄と同盟したりしてたんだけどね
甲斐を押さえたり信雄と同盟したりしてたんだけどね
115: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:26:32.02 ID:WRdKiyxe0
>>109
やっぱり秀吉が実力と運を持ってたんだろう
あの場面で覇権握るのは無能には無理だわ
やっぱり秀吉が実力と運を持ってたんだろう
あの場面で覇権握るのは無能には無理だわ
146: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:41:48.44 ID:YFmzOIaI0
>>109
そもそも家康が天下盗った理由自体、秀頼じゃ戦国時代の後戻りになると感じていてこの中で信長政権の路線を継続できるのは自分しか居ないと思ったからだと思う
家康は秀吉が亡くなるまではあくまで、織田氏の半家臣であり続けた
そもそも家康が天下盗った理由自体、秀頼じゃ戦国時代の後戻りになると感じていてこの中で信長政権の路線を継続できるのは自分しか居ないと思ったからだと思う
家康は秀吉が亡くなるまではあくまで、織田氏の半家臣であり続けた
123: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:30:58.27 ID:N6oPPToE0
お前らは率直に家康と三成のどっち着いてく?
128: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:33:17.84 ID:+zMDkhe30
>>123
三成はぶっちゃけ謹慎中の政治家半引退状態で
当時の政権切り盛りしてるのは家康だから自由に選べるなら家康につく以外の選択肢がない
西軍も実際は家康側につこうとしても妨害された連中と豊臣政権ひいきの大名だけ
三成はぶっちゃけ謹慎中の政治家半引退状態で
当時の政権切り盛りしてるのは家康だから自由に選べるなら家康につく以外の選択肢がない
西軍も実際は家康側につこうとしても妨害された連中と豊臣政権ひいきの大名だけ
134: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:34:39.08 ID:N6oPPToE0
>>128
なるほどな。
なるほどな。
135: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:35:54.78 ID:PCWST+us0
>>123
鞭しかくれない三成より、飴も時々くれる家康。
鞭しかくれない三成より、飴も時々くれる家康。
156: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:46:28.65 ID:iTohUsF1O
秀吉の時は経済的にも不安があったしね
関ヶ原以後で家康が圧倒的な経済力を得たのもでかい
関ヶ原以後で家康が圧倒的な経済力を得たのもでかい
186: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 02:59:41.74 ID:gnDD5yB0O
>>1の言いたいこと解るわ
基本的に日本中の大大名も小大名も豊臣の陣営な訳で
200万石かそこらの徳川が反乱?を起こしたところで
そこらにいる日和見のとりあえず家臣に飯食わせれれば
ってのが靡く理由が見つからない
毛利やら前田やら島津やら上杉やら伊達やら
みたいな地方の有力大名と仲いい訳じゃないし
豊臣には加藤やら福島みたいな子飼いもいるわけだし
基本的に日本中の大大名も小大名も豊臣の陣営な訳で
200万石かそこらの徳川が反乱?を起こしたところで
そこらにいる日和見のとりあえず家臣に飯食わせれれば
ってのが靡く理由が見つからない
毛利やら前田やら島津やら上杉やら伊達やら
みたいな地方の有力大名と仲いい訳じゃないし
豊臣には加藤やら福島みたいな子飼いもいるわけだし
201: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 03:06:31.98 ID:QtSSbSMV0
>>186
確かに秀吉は本気になれば家康を抹殺できたかもしれないが
反対に家康が他の有力大名と結んで秀吉に反抗する可能性もある
下手したら秀吉の天下統一が遥か彼方に行ってしまうリスクと
秀吉が天下統一した後秀吉の方が先に死んで家康がその後がまを狙うという
ずっと将来のリスクを天秤にかけたらどっちを選ぶか?って話だわな
確かに秀吉は本気になれば家康を抹殺できたかもしれないが
反対に家康が他の有力大名と結んで秀吉に反抗する可能性もある
下手したら秀吉の天下統一が遥か彼方に行ってしまうリスクと
秀吉が天下統一した後秀吉の方が先に死んで家康がその後がまを狙うという
ずっと将来のリスクを天秤にかけたらどっちを選ぶか?って話だわな
205: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 03:07:54.39 ID:y3UBTCvt0
まあ、うまく基盤を固められなかった秀吉とは違って家康が天下を取れば
大きな戦はなくなるのがはっきりしてたし
大名たちもいろいろ考えがあったんだろう
不利な側につけばより多い恩賞を期待できるし、
開戦する前は戦力的にもどちらにも勝算があったわけだし
大きな戦はなくなるのがはっきりしてたし
大名たちもいろいろ考えがあったんだろう
不利な側につけばより多い恩賞を期待できるし、
開戦する前は戦力的にもどちらにも勝算があったわけだし
269: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 03:33:42.62 ID:esWBg5zn0
秀吉は死んだ時点でまだ小さい子供しかいなかっただろ
ちゃんとした跡継ぎがいればまた話は違ってただろ
家康が死んだ時点ではもうちゃんと後継者も体制もできてたからな
ちゃんとした跡継ぎがいればまた話は違ってただろ
家康が死んだ時点ではもうちゃんと後継者も体制もできてたからな
308: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 03:50:31.50 ID:y3UBTCvt0
もともと戦国時代の大名はそれほどの力はない
だからどの大名も家臣団の掌握に苦労したり、一揆に苦労したりしたものよ
だからどの大名も家臣団の掌握に苦労したり、一揆に苦労したりしたものよ
そもそも封建主義っていうのが曲者で、主が家来に金をやれないから地をやったのがまずい
主もそれをわからないわけじゃないがそれでもやらないとまずいからしぶしぶやるしかない
だからどいつもそのうち力をつけて関白だの将軍だの言い出す
これは西洋でも同じ
314: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 03:53:44.99 ID:PCWST+us0
>>308
それを変えようとしたのが信長。
ただの土を焼いただけの器に価値を付けて褒美にあげてた。
茶会開くのにも信長の許可制だったし、茶会を開けるのが武将のステータスになった。
それを変えようとしたのが信長。
ただの土を焼いただけの器に価値を付けて褒美にあげてた。
茶会開くのにも信長の許可制だったし、茶会を開けるのが武将のステータスになった。
318: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/01/26(木) 03:56:21.78 ID:YFmzOIaI0
>>308
徳川家康の凄い所は一揆の相手を上手に許した上に宗教だけを無力化したした所と、
分散されがちな家臣の権力を集中させたのをかなり早期からやってたんだよな
徳川家康の凄い所は一揆の相手を上手に許した上に宗教だけを無力化したした所と、
分散されがちな家臣の権力を集中させたのをかなり早期からやってたんだよな






























コメント↑↓
※誹謗中傷や相手を傷つける投稿はご遠慮ください。お互いを尊重し合った、思いやりのある投稿をお願いいたします。
戦国時代の👑絶対王者は玉袋が大きな徳川家康
家康は秀吉の義弟なんだから後を継ぐのは言うほど無理じゃない
秀吉しんじゃったからな、秀頼はまだ子供だし反家康派が叛乱を起こすし、やらなきゃやられるまだ戦国の世の中だからナ。
政権内における最大勢力者が、他の有力勢力を潰して政権を簒奪なんて
古今東西どの世界でもある事例だろうが。
(家康のは正確には簒奪ではないが)
>>4
まあ、家次が二代目になったとしても、いずれ御家騒動になったかもナ。
>>2
家康は別に義弟という立場をもって継承した訳ではないし、
そもそも後を継いだわけでは無く、新政権の樹立。
同じ立場に北条→足利があるけど、足利尊氏は北条家の血縁で
後を継いだとは誰も言わんだろ。
むしろ、いつの間にか織田家臣から織田家の主君になってる秀吉のほうが意味不明だろ
岸田=>石破 もわからねーだろ? そんなもんだよ。
家康がぶっちぎりで石高持ってたとか、朝鮮出兵でまったく消耗してなかったとか、秀吉に家柄としての広さ・強さがまったくなかったとか、イッチがあまりにモノを知らないだろ。
高校の授業で習う程度のレベルだわ。
>>7
秀吉のほうがよっぽどタチ悪いわな。後継者選びから織田家臣団の分断まで、上で出てる「簒奪者」だわ。
そら本能寺の変の黒幕の容疑もかかるよ。
うーん 家康に皆が着いていった理由が全く解らん。
別にこいつに着いても恩賞が貰える訳でもないのに。
秀次を処刑してしまったせいで政治基盤が滅茶苦茶
豊臣家の幹部同士の仲が最悪
実質のトップはヒステリー女
秀吉に恩義がある者ばかりで豊臣家には全く恩義が無い
むしろ豊臣家から距離を置く理由しかないだろ
徳川にどういう感情を抱いているかは解らないが
豊臣についていくのが泥船なのは皆解っている。
昨夜20:35のスレで、荒らしコピペ33件が消された模様
>>10
タチが悪いとか、そういう話ではなく、
秀吉の配下の大部分は旧織田家配下だったのに、なんの躊躇もなく
織田信孝や織田信雄を攻めている事。
織田秀信や豊臣秀頼みたいに実権を取られてから十数年経過しているならともかく。
この時点では関白にもなっていないから、名目としては何の権限もない状態
>>11
恩賞が貰える訳でもないって、実際貰ってるじゃん。
東軍に付いた武将の多くは加増されている。
秀吉死んだ時点で、家康は実質的なトップだったのが
関ヶ原起きて名実共にトップにたっただけだし
そら秀吉政権の大幹部なんだからそのままスライドするのなんて当たり前のことやろw
秀吉が織田政権を乗っ取ったのと同じやんw
>>8
高市を見ればわかるだろ
>>19
11の最初の二行は引用したつもりなんじゃないかな
むしろ信長の後に家康でいいだろ。秀吉が入って来たのが図々しい。まあ本人の才能って
奴だろうね。
>>6
北条→後醍醐帝→足利やぞ
仮病を使い 居留守を使い 強い奴等には頭下げ
何時の間にやら 勘違いされ 我慢の武士だとうたわれた
家康は家系で政権が継続出来る仕組みを
作っていたが
信長や秀吉は血族自体を信じていなかった
>>11
淀殿は別にヒステリー女じゃなかったらしいけどな
秀頼が世間で思われてるよりアホなのは確からしいけど
>>27
信長も晩年は実子優遇方針だったし、秀吉は家臣に豊臣姓羽柴姓を投げまくって準一族にしてたよ
織田→豊臣は関白位という権威による問答無用の超越だけど豊臣→徳川はただの実力と実利によるもの
権力移行の形が違うだけでどちらが正しい正しくないというものでもない
>>30
豊臣→徳川も権威の超越が含まれるよ
何故なら当時家康が公武込みで唯一の大臣職在任者だったから朝廷は彼を頼るしかなかった
ワンピース、バギー理論。
下らないバギーに価値を作者という優れた人がつけたから、人気者。
皆、運さえよければ俺も人気者と思うんだね。
つまり、空き缶は優れている。
優れた能力者が勝つ物語に、社会の上層か誘導してる。それへの必死の抵抗がバギー理論。
貴様らが作家や社長や政治家になれるのは、空想ばかりの無能だから。つまり、人当たりがいいつまり有能。皆、貴様らがいいのだよ。虐められるけど。
下層が勝つ社会に、貴様ら作家は誘導しないと、上層合理主義に対して息苦しい。
トリクルダウン構造。
>>8
有害度?
岸田は歴代で最も売国を実行した総理大臣だからな。
売国思想が最も強い鳩山は実行できずに消えたからノーカウントで。
>>6
鎌倉幕府内での元々の家格は源氏将軍≒足利氏>>>北条氏な
つーか 今も なんだが
まるっきし 藤原家系を ワルモノザコ扱い
しヤがる 日本の学界とか文壇らの蔑め情報操作
のせいで 日本人の教育レベルが下げられてる
からな・・朝廷影響力を拡大させる公家近衛前久
幕府影響力を拡大させてぇ足利義昭 つー2頭が
次の天下人を 作りだそーとしてた時代だ
だが 足利義昭についても 良くて幕臣止まり
近衛前久につきゃ 朝臣 利権栄誉 だからな
>>34
当時の源氏将軍と足利氏はイコールではないだろ
明確に源氏将軍が上
NHKの大河ドラマ「どうする家康」を見てると、なんで部下がついていったのかが不思議
まあ、創作だけどな
律儀な内府どのやぞ
サルという大本命馬のすぐ後ろにずっとピッタリと張り付いて走っていたマーク屋
そもそもサルに戦で勝ってるしな(小牧長久手)
普通なら前田が10年ほど続いたはずなんだよね。
>>39
前田利家は秀吉晩年時点で病気がちだから無理
だから秀吉は家康と利家だけ例外的に大老職の世襲を許可していた
>>27
秀吉は武家関白制を取ろうとしていたけど、この制度の弱点は
先代が死んだからといってすぐに関白になれるというものではない事。
秀頼は4歳で元服、従四位下に叙せられるという相当無茶な事をやってるけど全然時間が足りなくて、
そのあとの出世も別に遅い訳ではないのに結局は右大臣止まり。
要するに、秀頼には武家関白制における統治根拠がないまま死んでいる事からも分かるように
欠陥制度。
>>35
戦国から江戸への「バトンの渡し方」を、かなり鋭く見ておられますね。信長→秀吉より「秀吉→家康」が分かりにくいのは、まさに朝廷と公家、とくに近衛前久をどう扱ったかの差が大きいところです。
💡 ざっくり結論
秀吉→家康の転換は、ものすごく噛み砕くと次のような流れです。
信長は「武家の頂点」を目指しつつも、朝廷をうまく利用して権威付けを進めた
秀吉はそれをさらに推し進め、藤原氏・近衛家との関係をテコに「関白・太政大臣」という朝廷官職の頂点を取りにいく
家康は、豊臣政権の「朝廷との一体化」を正面からは否定せず、
一方で近衛前久親子など公家に恩を売り、自分に有利な朝廷ネットワークを水面下で作り直した
結果として、「朝廷権威を最大限利用した豊臣政権」から「朝廷を尊重しつつも、武家政権が主導権を握る徳川体制」へのソフトランディングが起きた
以下、ポイントだけ短く整理します。
>>42
自分にレス?
豊臣から徳川へ勢力流れていくの間に家康が勢力拡大の為に
縁戚を結んだりして足場固めの工作をしてたのに豊臣家があくまで
家臣同士の諍いとして扱い奉行に差配させ何もしなかったから
本来であれば無断で縁戚を結んだ行為を豊臣に対する反逆として
家康から江戸を没収して僻地に転封すべきだった
漫画の大乱関ヶ原を読め
結構やらかし綱渡り&結果オーライな内容で全然楽勝ではなかった当時の状況も見えて面白い
ルフィ、エース、ロビン、赤犬、青雉、黄猿、イム、シャンクス、ハンコック、白髭、マルコ、キッド、ローとか、思いつく限り、entpを並べる。作者の親とか編集だろう。貴様ら、優れた人だと思い込む。
ルフィくんなんて、entpがシャンクス、entpに憧れるだけの普通を描いただけ。
これでも、多様的な方。ただ、叩いてるのもこの人達で、動画投稿して応援するのもこの人達。役割分担。なんでだろね。潰し合うんだね。
貴様ら、強さの基準が知勇兼備で、一緒にいたくないが優れてると思う。
ドラゴンボールは、デブブウistjで、優しい純粋な強者というのが書けた。結局、entpやせちびになったが。
まあ、カイドウ、ビックマム、黒髭estjだが。
>>42
🏯 秀吉と近衛前久の関係
関白になるための「藤原ブランド」利用
天正13年に秀吉は近衛前久の猶子(形式上の養子)となり、藤原・近衛家の家格を借りて関白に就任しました
従来の源平藤橘の氏とは別に「豊臣」の姓を下賜され、朝廷世界の頂点に一気に躍り出ます
つまり秀吉は、公家社会の頂点(関白・太政大臣)として天下を掌握しようとした
という意味で、「公家に成り替わってしまった」存在だと言えます。
🐢 家康と近衛前久の扱い方
近衛前久親子に「庇護」と「恩売り」
秀吉が自身の出世の踏み台のように近衛前久を使ったのに対し、
家康は天下取りの過程で近衛家を保護し、むしろ「傘」を差し出す側になりました
公家たちにとって、豊臣政権が揺らいだ後に頼りになるのは、朝廷を粗末にしないが、なおかつ武家の実力も圧倒的な徳川家康、という構図になります
ここで重要なのは、秀吉:公家システムの頂点に自分をねじ込みに行った
家康:公家システムそのものは立てつつ、外側から「保護者」として位置を取った
というスタンスの違いです。
>>44
家康がデカすぎて無理
あと反家康勢力も裏で誓紙交わしたりしてる(これも秀吉遺言違反)から遺言を忠実に守ってる奴はいない
戦国の世の習いというか
秀吉は晩年が汚れ過ぎたし、後継を育てることが出来なかったのが問題
家康は秀吉がいたときは黙って従ってはいたが、やっぱり戦国の子なので、無能な奴の下についていくのは我慢ならなかったんだろう
単に三成が嫌いというのもあったかもだがw
>>47
⚖️ 「藤原・公家=ザコ」扱いの違和感について
おっしゃる通り、日本史の授業では
戦国武将のダイナミックな合戦史
将軍や大名の権力闘争
に比べて、公家や藤原家系が「背景のモブ」のように扱われがちです。
しかし実際には、信長も秀吉も家康も、朝廷や公家の権威をどう取り込むかを、かなり戦略的に考えていた
秀吉の関白就任も、家康の征夷大将軍就任も、どちらも朝廷抜きでは成立しない
近衛前久のような公家は、武家政権を正当化する「認証装置」として不可欠な存在だった
という構図があります。
この部分が「ザコ扱い」されると、信長→秀吉→家康の継承ロジックが確かに見えにくくなります。
>>49
むしろ嫌われ者だった三成を評価して部下にしたいとすら思ってたのが家康
石田三成七将襲撃事件前までは筑前旧小早川領37万石は豊臣蔵入地。
事件後に小早川秀秋に他の豊臣蔵入地含めて51万石を与えた。
つまり豊臣家271万石が、徳川家康により51万石引き剥がされ220万石になった形に。
>>50
🔁 信長→秀吉→家康の流れを一文で
信長:武力で旧秩序を壊しつつ、朝廷をも利用する「破壊と実験」の人
秀吉:公家システムの頂点(関白)を自分のものにして、朝廷と一体化した天下人
家康:公家を保護しつつ距離を取り、武家政権を長期安定させる方向へバトンを持ち替えた天下人
だから「信長→秀吉」より「秀吉→家康」の方が見えづらいのは、
朝廷・公家との距離の取り方
近衛前久を「踏み台にしたか」「庇護したか」
という、政治感覚の違いが絡むからだと整理できます。
>>30
家康は豊臣家滅亡前に太政大臣に任命され名実共に秀頼より上の立場になった。超越とやらが何を指すのか知らないけど官位で考えたら家康の方が上位の扱いをされるのは当然のこと
>>48
秀吉がやるべきだったんだよ
自分が同じ事をやってきたんだから
朝鮮出兵に際して前線基地の総司令官っていう体裁で
九州に50万石くらいで転封しておくべきだった
>>34
源氏将軍なんて3代だけじゃん。(皇族降下入れても4代)
藤原氏将軍や皇族のままの将軍も居たわけだし。
家康からしたら、豊臣政権の内紛を鎮圧したけど、日本を統治するには秀頼じゃ荷が重いだろうから、幕府を開設して代わりに統治してやってんだよな。
で、将軍職を秀忠に継がせた時点で「さすがに気づけよ」って感じ?
>>18
織田信雄や信孝は他家に養子に出た身。
他所者だから忠義の対象にならない。
そもそも秀吉はなんで子供少なかったんだ?
男色満開の戦国には珍しくむっちゃ女好きだったんだろ?
ねねに子が出来なくても側室含めて突発的にあちこちで子供作りそうなのに
後継者を山盛り作っておけば家康が出てくることも無かったでしょ
>>33
岸田は、広島サミットできれば他は興味ないから。
>>24
当時は家臣団もなくただの外様だったんだよ
織田家の跡目争いに口を挟める立場じゃなかった
>>11
金借りてるから。
横暴な独裁者が人たらしの家康に負けたというだけでしょ
部下が書いた自伝では秀吉自身も”人たらし”ということになってるけど、まあ家康の人望に嫉妬してたんだろうね
実際には実の姉を問答無用で切り殺したような冷徹で残虐な男だった
>>59
江戸時代の大奥並みに側室を抱えてたけど種が薄かったから子供が中々できなかった
>>55
それが出来ないから関東移封だったんだが?家康は実力を蓄え続けて秀吉の後継
という地位になったんだよ。地道に我慢、堪忍を重ねてな。
>>18
権限は無くても織田家の次期当主たる三法師様の為という
後見人としての大義名分があったのでフル活用した。
家康が行った上杉征伐からの豊臣家臣同士の争いの関ヶ原も
「秀頼のことをくれぐれも頼みます」という秀吉の遺言をフル活用した。
歴史は繰り返すなあ。
>>28
淀殿は武家の作法も心づもりもできてない
深層の令嬢だよ。
未だ京極殿の方が武家の娘・嫁として行動してる(実家存続に全力投球)
秀吉を除けば圧倒的な力があるのに理解出来んか?
>>29
徳川秀忠は真似して外様に松平姓ばら撒いたよな。
>>59
秀吉も弟秀長も子供はいなかったしな。まあ少しはいたという意見もあるだろうが
実際は種無しだったんだろう。つまり鶴松丸やお拾いは、、、秀勝は、、、
>>63
人たらしのお調子者は秀吉。家康は律儀で朴訥な田舎者。
>>39
前田利家て秀吉死ぬ前に既に隠居の身。
>>6
それも違う
既に豊臣政権下で総理大臣みたいな事やっていたんだから継承からの新体制やで
>>64
側室も再婚したら子ができたの居るから、
不妊原因は秀吉側にある。
宇喜多秀家の母ちゃんや京極殿みたいな経産婦すら孕ませられないんだし。
>>37
終盤には覚醒したけど、それまでがね
>>71
律儀なら真田昌幸に代替地与えろよ。
空手形乱発して律儀モノは無いな。
創造の前には破壊が必要となる。つまり信長という破壊者の後に家康という創造者が登場となるのだが、信長の退場があまりに唐突だった為に秀吉という中継ぎ役が登場するはめになったということ。
>>70
信長ブラック会社時代は子作りする時間もないほど馬車馬のように働かさせられてたからね
ほとんどの信長配下の武将は子が少なめ
>>76
真田昌幸こそ表裏一体の卑怯者だから、あまり重用しては駄目。
>>53
『数世紀を経た昭和時代の 天皇陛下皇統や皇胤近衛公爵への非道な扱いをした逆賊 東條英機 達の末路』
💡 東條英機とは誰か
東條英機は昭和期の陸軍軍人で、太平洋戦争開戦時の首相兼陸相、その後参謀総長も兼ねた戦争指導者でした。戦後は極東国際軍事裁判でA級戦犯として死刑判決を受け、処刑されています。
👑 昭和天皇との関係
「東條は天皇陛下や近衛文麿を使いやすい御輿 と首相」と見ていたという分析があります。一方で、戦局が悪化するにつれて両者の間に距離が生じ、昭和天皇は東條英機へ撤退や内閣総辞職を促す発言もしていたとされます。木戸幸一日記などの史料から、東條英機らによる敗戦覚悟の新貴族入りを狙った革命的な野心を議論されています。
🏯 皇統・皇胤・華族への扱い
東條内閣期には、
戦時体制を強化し、議会政治や言論の自由が大きく制約された
華族や旧公家は「戦時協力」の名のもとに政治的・社会的圧力を受けた・天皇陛下と近衛文麿を暗殺してでも本土決戦を続けようとした。
という点が指摘されています。
天皇陛下や皇族近衛文麿など一部の華族政治家は、対米開戦や戦時体制をめぐって東條ら軍主流派と対立し、結果的に「反主流派」として追い込まれていきました。戦後史料では、こうした流れを「軍部による政治支配」「翼賛体制による弾圧 圧迫」暗殺や皇太子への転換を企図する逆賊として批判的に見る立場が一般的でした。しかし、東條英機らの家族や部下たちによる名誉回復活動が顕著になったことで、新たな国際問題を引き起こしている現状です。
>>74
側室は大勢いたけど、妊娠したのは淀殿だけだからな。それも二度も…。
家康はビジネスモデルが戦争依存ではなく、大規模土木事業による経済への転換が大きな特徴。
両方ともに公共投資なんだけど、戦争経済は設備が破壊され、インフレだけがの残るので
かなり残念なもの。
各大名にとっては言う事を聞くだけで自分の所領が安堵されることは、
メリットが大きいと感じたんだと思うよ。
>>71
だからその人物像は秀吉自身が書かせた架空のものだってバレて来てるぞ
>>9
武田信玄、勝頼親子、姉川の戦いに参陣、長篠で信長と共に勝利、天正壬午の乱で十倍の北条軍を撃退、秀吉と戦い局地戦とはいえ小牧長久手で勝利。関ヶ原の頃にはこれだけの大名も武将もこの世にはいない。いわばレジェンド、そりゃ皆が家康に付いてくわな。
>>62
細川だな
義理パパの秀忠がアホな婿を懲らしめただけなんで
正確なラインは秀吉→秀頼→秀忠
>>41
豊臣はぽっと出で藤原摂関家と張り合うのは難があっただろうしな
>>65
当時僻地だった江戸には転封できて九州には転封できない理由は?
「それが出来ないから」ってはっきりと断言してるんだからもちろん理由はあるんだよな?
>>39
利家は秀吉よりも年長だろ、後十年とか無理無理
>>88
九州の大名が軒並み反抗するわ
>>78
家康も子が多いのは信長が死んだ後か
>>83
信長亡きあと信長を陰湿な人物だと喧伝したのは秀吉
秀吉の人柄が架空のものだったと喧伝させたのは江戸幕府開闢後の徳川家
結局は勝者が歴史を作るって話よ
天下統一した後の大問題となるのは全国にいる浪人問題。秀吉はそれを大陸進出で解決しようとしたけど、家康は豊臣氏滅亡と絡めて纏めて解決した。
>>76
ホントに律儀かはともかく同時代人に律儀と思われたのが家康と利家。そりゃ宇喜多直家あたりと同時代だからね。
朝鮮出兵の際に家康の力を削いでおかなかった秀吉の失策
自分がどうやって織田家を家臣に据え主従逆転させたのかを考えれば
当然手を打っておくべきだった
>家康は金も武力も1大大名にクラスに過ぎない
秀吉の義弟で、秀頼の許婚の祖父で、秀頼の母が息子の嫁かつ秀吉政権No2かつ日本唯一の200万石超え(豊臣本家は除く)の大大名かつ秀吉が唯一武力で屈服させられなかった武将
一大大名クラスなんてもんじゃないけどな
信長→秀吉より、秀吉→家康の方がまあ…そうだろうな…感が強い
>>93
それでも由比正雪の乱とか起きたけどね。それくらい浪人問題は大変
>>1
慶長時代の👑中国玊者は玊袋が遅い毛利輝元
>>6
尼子晴久「ほな義理兄弟ってことで毛利の土地掻っ攫ってもええな玊袋がかゆい」
>>97
大坂の陣の後も二代将軍の秀忠や三代将軍家光が大名を取り潰しまくったからな。必要以上に浪人が増えてしまった。
>>36
吉見氏「ほな頼朝公最近親で生存してるワシラが上やん玊袋がかゆい」
>>86
秀頼なんてラインはないよ、
秀頼は関白豊臣秀吉の息子であるというだけで天下を統治する政治的な根拠が全くない。
>>67
京極高次「1代でのし上がったところと佐々木源氏から脈々と作法を嗜んでるウチと比べるのはコクやと思うで玊袋がかゆい」
>>51
三成は部下としては実務は優秀なのよ。会社にもそんな人、いるでしょ?
>>88
家康は問題を起こしたわけじゃないから転封するなら加増名目にしなきゃいかんのですよ
当時関東250万石なので九州に移したら大体300万石前後は与えないといけなくなる
そうなると事実上九州王だし300万石って九州だけで足りるかな?
そして家康が入るには元々いる大名を全員転封させないといけなくなるので手間がかかりすぎる
>>59
秀吉は六本指や髯が生えなかったという事からも考えて遺伝子異常だった可能性が高い。
それと子供が出来なかった事に因果関係があるかは不明だけど、生まれたと言われている子供も早死が多いし。
ごっつぁんゴールに近い
あと秀吉時代に比べると西日本の支配は弱い
>>95
頼れる義弟なんだから削ぐわけがない
>>107
駿府から動員かけたら西国諸大名が続々と参上したけどな
秀吉公が無くなった後の世界で一番財力と暴力を持ってたのだから、
家康公が政権を取るのもしょうがない。
>>95
つーか 朝廷も 秀吉も ビビってたこたぁ
出兵中 の 謀叛とか 反乱とか だ
関東平定 奥州一揆 鎮圧 したばかり
だからな・・ だから 前田利家と徳川家康
が 日本に残ってた 朝鮮出兵中の 兵糧
とか 集めて送る 兵站作業も必要だから
出兵諸大名の 留守居役 らが 謀叛とか
農民の一揆とか 起きやすい からだ
野心を感じさせ無え 信頼された2人だ
中国で言やぁ 荀彧 魯粛 ギリ司馬懿 だ
武力から政治力に変わっただけだろ
ちゃんと頭使ってトップもぎ取ってんだけどそれ以前が見た目に華々しかったからあまり語られないだけ
>>102
なら秀忠だって家康の息子でしかないが?
>>88
転封するにしても50万石に減らすのはまずあり得ないぞ
関東へ移る前の段階で120万石あるし義弟家康を雑に扱えば秀吉への信頼も損なわれる
義弟ですら理由もなく領地を削られるなら我々は…と反発する大名が爆増して豊臣政権崩壊
>>113
天下人家康の嫡子だが
秀次事件で助けた秀次派閥がついてきたのがデカい
所詮250万石の一大名から抜け出せて600万石ぐらいの派閥を率いることが出来た
>>25
それを当てはめると
信長→三法師→秀吉→秀次→秀頼→家康
>>55
秀吉時代の婚姻はすべて秀吉の承認を得てのものだろ
承認得なかったら家康といえど潰された
>>116
秀次と家康が仲良かったから必然的にそうなったんだよね
>>51
襲撃事件で三成も恩義を感じて家康についていこうとしたら吉継に西軍として関ヶ原に駆り出されたしなw
>>118
問題はこの時代に承認を与える明確な決まりがない事
>>57
足利将軍が豊臣関白家に降伏したから当時は将軍は関白より下なので危機感覚えなかったのでは?
>>81
淀の前に1人出来たけど生き延びれなかったという説があったような
>>81
それって、本当に秀吉公の子ど…
>>102
ならば関ヶ原で東軍も西軍も秀頼様のために戦うという大義名分がいらなくなるんだが
実質はともかく名目上は秀頼が天下統治する根拠はあった
>>119
東国任された秀次の部下が家康だしな
>>36
そこは大した問題じゃなくて、家格が上の足利氏が下賤な家柄の北条氏の「跡を継ぐ」わけないやろということやぞ
>>19
負けたら潰されたけどな
よく賭けに乗ったと思う
>>61
家康は織田家の親戚扱いだったが?だから信雄も秀吉と対立したときに家康に
協力要請したんだが?
>>126
部下と言っても家康は秀吉から秀次の指南役を依頼されてるからかなり影響力が高い存在
奥州仕置きも名目上の総大将は秀次だけど実際には家康が仕切って終わらせてる
>>120
その説を述べる人がいるけど、結局西軍に付いたし内府違いの条々にも署名してるし
関ケ原でも東軍相手に奮戦してるから言い訳にしかならない。もし本気で家康側に付こう
と思ったならせめて関ケ原の真っ最中に小川、朽木、脇坂、赤座みたいに寝返れば良かった
んだよ。出来れば最初から家康側に島左近、舞兵庫、蒲生備中のうち誰かを派遣して
小早川みたいに動けばよかったんだよ。
>>49
三成にそこまで影響力ないだろw
>>113
征夷大将軍として朝廷に認可されたから
>>113
秀忠は征夷大将軍を家康から継承しているから政治的根拠はあるよ。
秀吉政権は武家関白制にも関わらず、秀頼本人は関白じゃないんだから。
>>28
大阪側の内実の、一次資料が無いですからね。
秀頼様も対徳川強硬論者だった方が辻妻が合う事は多いですけど。
>>44
実際にこの件では五奉行に詰問されているけど、実際問題として家康を処罰する人間がいない。
実質「すいませーん、反省してまーす」で有耶無耶になっている。
>>125
逆だよ、名目上はなかったけど、実質はあった。
ただ、その根拠も豊臣秀吉恩顧という砂上の楼閣に等しい根拠。
イメージとしては
田中角栄 →竹下登 →安倍晋三
みたいな感じ?
豊臣一門衆筆頭だし、割と順当やろ秀吉家康への移行は
会社で言えば、生え抜き社長の会社乗っ取りを阻止した創業家の有力者やで
>>138
池田さんと佐藤さんが吉田学校の同世代ライバルで
その後の三角大福中が同世代ライバル関係。
三角大福中が、織田政権下の有力武将みたいなものかなと思う。
秀吉→家康がわからんなら信長→秀吉も変わらんだろ
>>33
確かに鳩山→菅は無能すぎて売国もできなかったな
当時の中国も煙たがってて草
>>11
小早川秀秋なんか特にそうだわな
豊臣家には不信感と恨みしかないし、逆に徳川家康には窮地で助け舟出してくれた恩がある
石田三成が関白の座を用意するとかやってたとあるけど、これがマジなら三成は人心を理解できてないわな
秀次の末路を見たら同じ養子仲間の秀秋としては関白の座とか見たくもなかろう
>秀吉→家康が解らねーんだ
分からないのは当然。
家康に着いた全大名の気持ちなんて書き記した文献なんか無いんだしな。
>>144
じゃあ信長→秀吉も分からんだろ
関ヶ原の一戦は、東軍も西軍も基本豊臣の軍であり、徳川は家康以外参加していなかった。
なので豊臣同士が潰し合いを演じたから、以後は徳川一強体制になった。
家康の書いたシナリオ通りに演じられたのが関ヶ原。
>>145
確かに判らない。特に丹羽長秀や池田恒興が羽柴秀吉に付いた訳が…。
>>146
戦国大名を馬鹿にし過ぎ
家康についた大名はこの戦で家康が勝てば徳川の天下になることぐらい察してたし、反家康の西軍も負ければ豊臣の世でなくなるぐらい察していた
>>146
徳川も公式に豊臣軍
そうでないと秀吉恩顧の武将が参陣しない
>>130
それを実質部下といいます
秀次政権出来たら家康は関東では重きをなす存在にまではなれた
>>137
実質なかったから徳川や上杉や毛利が好き勝手出来たんだど
名目という大義名分を軽視しすぎている
>>147
丹羽長秀は気弱な武将でおべっか使いの秀吉にしてやられた、と本人の談もある。
池田勝入は明智戦後に河内などを切り取り勝手と言われて秀吉に着いた。
>>149
この振り方が決まる損得で参戦するぞ
誰に恩を売るのが正解か
誰がこれからの政権のトップに立つか
もちろん好き嫌いや恩義でどちらにつくか考えるのもいるだろうが目端の利く戦国大名は戦後の統治を見据えて動いてる
>>134
室町将軍でも将軍位についていない期間でも大樹として認められたように官職はあまり意味がなく天下(諸大名)の信頼が重要なので、関ヶ原前も後も秀頼にも資格は当然ある
あと、当時の征夷大将軍は大した地位でなく秀忠の重要な官職は大納言兼近衛右大将
>>148
だな。東軍についた連中は秀頼が御幼少過ぎて西軍連中の画策を止められない、止めるのは
やっぱ実力ある家康しかいないって事で東軍についたんだし。んであわよくば領土も増やし
たかったし。だから東軍の名だたる武将らは軒並み50万石前後にアップされてみんな大喜び
だった。
>>4
どこをどう捉えても簒奪だろw
主君秀頼をきっちり殺害しているし
>>153
秀吉が2年前に利家が1年前に死亡したので、年寄りの家康もすぐ死ぬと思っていたんじゃね?
だから次は徳川というのはそこまでなく毛利や宇喜多についた武将が出てきたし、岐阜城陥落しなかったら東軍負けていたし
>>121
秀次事件後の御掟で「諸大名縁辺之儀、 得二御意一、 以二其上一可二申定一事。」という明確な決まりができた
>>136
そもそも天下人秀頼の許可が必要なのだが、幼くて判断できず成人するまで五大老五奉行に補佐を任せてしまったのがねぇ
秀次が継いでいて家康が破ったら徳川家は取り潰しになっていただろうに
>>131
隠居していて本拠近くに大軍が来たのに徳川家臣でもないのにそれをやるのは無理だし
秀吉政権の三成は家康との関わりが薄いし東軍に三成殺害マンが大量にいるので無理じゃね?
>>106
後は滅んだ滅ぼした名家の姫を側室にするクセがあったのがね
>>161
ナポレオンとかみたいに子連れでも子供産んだ姫とやるべきだった
家康は秀吉以上に運だけの男
本能寺の変がなければ東北に飛ばされた人生終えた
その後秀吉が光秀を討たなければ東海の一大名で生涯終えた
天正大地震が起きなければ秀吉に負けて人生終えた
北条家が秀吉に帰順して忠誠誓ったら東海の一大名で生涯終えた
鶴松が死亡しないもしくは秀頼が生まれなければ関東の一大名で生涯終えた
秀次事件が起きないもしくはその前に秀吉が死んでいれば関東の一大名で生涯終えた
関ヶ原の戦いで福島たちが岐阜城落とせなかったら毛利西軍に攻められて負けて人生終えた
>>159
秀次が継いでいた場合五大老五奉行制自体がない
そして秀次と家康は公私で交友があるから上手く連携して敵対者を潰して行っただろう
>>150
秀次政権ができれば間違いなく家康は重鎮だよ
秀次から見たら家康は頼れる義理の叔父さんになる
その後は史実の秀頼同様徳川の娘を嫡子の嫁にして結び付きを強めるだろうね
>>117
ソレ
秀吉→秀次→秀吉→家康では?
秀頼が権力者になった瞬間は無いんだし。
>>163
運も実力の内としか
ぶっちゃけ負け犬の遠吠えでしかない
>>110
権威もな
>>37
信長と同じで、穴の繋がりだよ。
>>89
利家より年長の利益さんは長生き。
>>123
長浜城時代のは、生母が島に流罪だし。
何もない湿地帯の江戸へ追いやって家康の勢力を削いだつもりだったが
街づくりが大変だという口実を与えてしまったため朝鮮出兵でさらに勢力を削ることができなかった
安全な場所で暗躍する余裕を与えてしまった
>>78
丹羽長秀>え?
前田利家>え?
>>110
財力は豊臣秀頼が一番、上杉景勝が二番で家康は三番手だよ。
>>119
秀次与力の東海道の大名衆は、
秀次事件後は福島正則与力なんだよ。
家康が旗頭の福島正則を真っ先に籠絡した理由でもある。
>>163
40億年前に地球にひとつのバクテリアが発生しなかったら生涯始まらなかった
ほんと運よな
>>140
池田と親戚になりながら佐藤に付く田中角栄は、
汚い。
佐藤にしても吉田茂の政敵の岸信助に付いて首相になる。
>>139
徳川家康は、内大臣就任前に「源氏」に復姓してるから豊臣一門では無い。
秀吉の葬儀でも一門筆頭は福島正則が勤めてる。
>>152
池田恒興は、羽柴秀吉と縁戚なったのが大きいのでは?
>>156
主君じゃないだろ
>>155
東軍で50万石になるのは、黒田長政と最上義光だけ。
前田利長は120万石に大加増だが、真っ先に母親を人質に差し出した褒美だから別物。
>>163
凡人はそれだく運があっても軒並み取りこぼしなんだわな。秀吉も本能寺の運を大返しで拾った理由だ。信長は金ケ崎の不運を決断の速さではね返しとるし。三傑は皆偉人だよ。
>>172
誤解されがちだが家康は唐入りに絡んでるし名護屋までは来てるぞ
ただ家康の渡海は秀吉渡海時と決まってたから行かなかっただけ
秀吉が大名の子女は全員行かず後家になれという遺言を残したのを、家康が解釈でなんとかして人望が集まった
>秀吉が死んだ後って別に家康は金も武力も1大大名にクラスに過ぎないのに、何でこいつに皆は着いていったん?
秀吉の政権が弱かったからだろ
本来なら獲れない勢力差なのに天下を獲るしかも超長期政権という、家康は不可能を可能にしてて、ある意味、源頼朝以上のことを成し遂げてて世間が言うよりすごいんだよ
>>71
一次資料には秀吉がお調子者だったり明るい性格してたりといった情報は一切ない
家康も律儀はともかく、派手好きだったという記録がある
>>147
池田恒興の息子の嫁が織田秀信(三法師)の母と姉妹、いうなれば織田家の秀信派閥だった。
だから織田信雄や織田信孝に出しゃばられては困る訳だ。
だからどちらも担ぎ出さない秀吉に付くのは自然の流れといえる。
>>163
三河の国衆でしかなかった松平家を戦国大名に育て、武田家相手に長年滅ぼされることもなく戦い続けた家康が運だけとはとても思えないけどね。
天正壬午でも北条相手にほぼ完勝してるし、小牧長久手でも局地戦では勝利してる。
文章見てると単なる徳川アンチにしか見えないけど。
一旦秀吉が天下統一をほとんど成し遂げているので
みんなもうお知り合いなのよね
顔が効くって大事、
茶会もばかにしてはいかん
>>184
本当は秀頼に遺言で取り消しを命じる案件なのに幼君なので何もできず
>>185
豊臣2代目秀次政権を秀吉が潰したのがデカい
>>180
主君に決まっているだろ
>>163
そうだよ。
そして、天運は徳川にアリと多くの大名が判断して徳川方についたんだよ。
>>163
運「だけ」というなら家康さんが無能だったことも証明しいなといけないけど
それだと家康さんが天運に恵まれていた人だと言っている「だけ」だから。
>秀吉が死んだ後って別に家康は金も武力も1大大名にクラスに過ぎないのに、何でこいつに皆は着いていったん?
山崎の戦後の秀吉も織田家筆頭ではあっても1大大名にクラスに過ぎないけどな
むしろ家康は豊臣家とは二重三重の縁者なのでむしろ秀吉よりかはるかにいいラインにいるぞ
>>132
刀狩や太閤検地、朝鮮出兵で全国の大名とやり取りしているので人脈はかなり広いよ
しかも、困ったことにはちゃんと相談に乗って便宜まで図ってくれるので「三成が対応してくれて助かった」とかいう手紙も残っている。
というか宇喜多や毛利、吉継だけでは反徳川同盟が成り立たないので人脈がある三成を無理やり引き込んだ
>>122
というか朝廷が足利家から信長に、本能寺の変後の織田政権から秀吉に政権担当させたのは前任者が政権維持できないからできそうなのに任せた、という話なので
何なら足利義晴のあたりから朝廷は足利市見限って大内氏や三好長慶に色目使ってるし
>>59
若いころ「生まれ変わったら絶対織田家だけには仕えない」ほどのブラック勤務(横山城代で対浅井戦線の司令官兼京都奉行兼毛利の外交担当+援軍兼各戦線の支援や援軍など)…やらされて家庭にろくに帰れなかったから…ちなみに令和8年大河ドラマ主人公の秀長がその代行としてちょくちょく名前が出てくるけど…いなかったらマジで過労死していたかもしれん…
後柴田勝家にも明智光秀にも実子がいないかいてもほぼ孫ないしひ孫レベルの年の差なので秀吉に限った事例でない可能性もある…。
なおノッブは実子は20人以上いたとか…光秀が謀反おこした理由はこれか?
>>76
その代わり上田城の建築費は出している…まさかこの城を攻撃して敗退するとは夢にも思っていないだろうが…。
まぁ、「先祖代々の墓がるので…」と大ウソかましている奴にそこまでやってやる理由はあるのかと。
信長死後に秀吉と一番争ってたんだからここが一番わかりやすいやんけ
>>107
そもそもごっつぁんゴールは正当なゴールだしなぁ
なぜか大したことないみたいな意味で扱う人が絶えないけど
ごっつぁんゴールすら取れないで負けてく方が遥かにまずいわけで
>>157
東軍が負ける目はほぼ無いんじゃないかな
>>194
そもそも運がいい以上の天啓は無いしな
運の良さだけで結果を出す男と、不運だがそれ以外はある男のどちらを担ぐかとなれば前者なんよ
>>191
そこにつきる
>>191
弟生きてたら家康何もできなかったよなぁ